小林先生がブログで書かれていた、日本ではまだまだ個人主義が確立されていない、という内容は、あらためて読むと耳が痛いなと感じます。 もちろん、『ゴー宣』のメインテーマが「個」と「公」であることは承知の上であり、長年にわたってそれを読み続けて考えてきたはずなのに、いざ現実的な「会社組織」というものを前にした時、判断が鈍ってしまいました。 今回、大きな問題となっているのが、テレ朝のパワハラということだと思うんですが、会社勤めをしたことがある日本人の多くは、どうしても「会社に対して従業員がアクションを起こすのは難しい」と考えてしまいます。 かくいう私は、先日契約社員として勤めていた会社を辞めましたが、退職前に有休を消化したい、という「ごく当たり前の要求」を「どのように穏便に、イヤな顔をされないように申し出るか」ということに、えらく気を遣ってしまいました。 施設警備で配属された先では、そこの社員が「有休を申請すると、上司があからさまに嫌そうな顔をしながら受理する」という不満をぶちまけていたのを耳にもしました。 頭では「正当な権利」であると分かっていても、いざ「会社組織」を前にすると萎縮してしまう、という精神性。 「空気」に支配されているのでしょうかね。 そして、萎縮してしまうということは、「個」としてはムチャクチャ弱い状態になっている、ということでしょう。 もちろん、そういうことではない、という方もおられるでしょうけど、少なくとも私自身については、普段より個人主義の重要性を認識しているにも関わらず、自身の経験や見聞がリアルに思い当たる「会社組織」との対峙については、心情的に「そこまで求めるのは酷だろう」という判断を下してしまいました。 それだけ、今の日本で「個」を貫くというのは、想像以上に難しいことなのでしょう。 若い時に「組織」に依存してしまっていて、「個」を確立させないまま大人になってしまうと、我が身を振り返って「個」の重要性を頭で理解することはできますが、いざというときに未成熟な部分が顔を出してしまいます。 これはもう、私にとっては生涯に渡っての大きな課題だなと感じました。 次世代により良くバトンタッチできるように、精進せねばならないと思います。
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小林先生がブログで書かれていた、日本ではまだまだ個人主義が確立されていない、という内容は、あらためて読むと耳が痛いなと感じます。
もちろん、『ゴー宣』のメインテーマが「個」と「公」であることは承知の上であり、長年にわたってそれを読み続けて考えてきたはずなのに、いざ現実的な「会社組織」というものを前にした時、判断が鈍ってしまいました。
今回、大きな問題となっているのが、テレ朝のパワハラということだと思うんですが、会社勤めをしたことがある日本人の多くは、どうしても「会社に対して従業員がアクションを起こすのは難しい」と考えてしまいます。
かくいう私は、先日契約社員として勤めていた会社を辞めましたが、退職前に有休を消化したい、という「ごく当たり前の要求」を「どのように穏便に、イヤな顔をされないように申し出るか」ということに、えらく気を遣ってしまいました。
施設警備で配属された先では、そこの社員が「有休を申請すると、上司があからさまに嫌そうな顔をしながら受理する」という不満をぶちまけていたのを耳にもしました。
頭では「正当な権利」であると分かっていても、いざ「会社組織」を前にすると萎縮してしまう、という精神性。
「空気」に支配されているのでしょうかね。
そして、萎縮してしまうということは、「個」としてはムチャクチャ弱い状態になっている、ということでしょう。
もちろん、そういうことではない、という方もおられるでしょうけど、少なくとも私自身については、普段より個人主義の重要性を認識しているにも関わらず、自身の経験や見聞がリアルに思い当たる「会社組織」との対峙については、心情的に「そこまで求めるのは酷だろう」という判断を下してしまいました。
それだけ、今の日本で「個」を貫くというのは、想像以上に難しいことなのでしょう。
若い時に「組織」に依存してしまっていて、「個」を確立させないまま大人になってしまうと、我が身を振り返って「個」の重要性を頭で理解することはできますが、いざというときに未成熟な部分が顔を出してしまいます。
これはもう、私にとっては生涯に渡っての大きな課題だなと感じました。
次世代により良くバトンタッチできるように、精進せねばならないと思います。