リボンの騎士 のコメント

文春の記事を読みましたが、それによって木蘭師範の違和感(怒り)表明ブログ、お気持ちわかりましたよ。あれでも抑えて抑えて書かれたのだろうなと拝察しております。

昨秋の騒動の際、よしりん先生率いるゴー宣道場が、山尾・倉持を守るという姿勢を明確にあらわしていなければ、あの後おふたりはどうなっていたのかということを考えますと、倉持さんがしなければいけないことは何だったのかおのずと見えてくるのではないかと思います。それぞれ違う現場を持つ師範方は、ともに戦う同志でおられ、その中で倉持さんの力が必要だったであろうことは想像に難くありませんし、そもそもが、恩を着せるような発想を皆さま持ち合わせておられないのは間違いありませんが、少なくとも倉持さんご自身は、それをどこかで持っていて(いる人であって)ほしかった。ましてや、法律や政治に携わる仕事をしているのであれば、それを公の観点から見ても、自分のすべきことを考え、わかっていなければならなかったのではないかと思います。
そのひとつが、最低でも、元妻によってあのような手記を出させるような事態にしてはならないということだったのではないでしょうか。(あの時点でそういう事態になってもおかしくなかったことは想像できるので)

それは、言いたいこともあるでしょうがそれをグッと飲み込み、倉持さんがすべてを背負って、元妻と山尾さんを人知れず守り続けなければいけなかったということになるのではないでしょうか。でも記事を読む限り、彼が元妻に対してしていたことはその真逆としか思えず、それは彼の人間性をも意味するのではないかと思いました。
元妻は失うものがない状態でしょうから、文春のような雑誌社なら、追い詰められて心身弱っている人につけ込み、利用するのはわかりそうなもの。そこまで彼女を追い込み、結果的にではあっても、天敵であるはずの文春にまたもや美味しい餌を与えてしまったのは誰なのか。

仕事と私生活は関係ない、その通りだと思います。でもどうなんでしょう。あくまでも推測ですが、そもそもご自身のプライベートや、家庭に関するあることないことを、最初にゴー宣道場(師範方ですが)に持ち込んだのは倉持さんご自身なのではないですか?木蘭師範のブログから想像するに、そういった内容も含め、彼の口から出る話には不審に思うことがしばしばあり、元妻の手記の中にあった言葉をお借りすれば、「すべてがひとつに繋がった」ことで、木蘭師範のあの怒りに繋がったのではないかと思うのですが。

一度は人生を共に歩もうと思った人を追い込み、その結果恨まれ、あることを成し遂げようと共に戦っている人には不信感を持たれる。木蘭師範が書かれていたように、家庭でも仕事でも(法律や政治に携わる内容であればなおのこと)、「信頼」なくしてそれはできないのではないかと私も思いますが、そういう人間性ゆえに、人と信頼関係を構築できない人が有する公益にかなう能力とは、また、そういう人が法律や政治によって目指しているもの、成し遂げたいこととは、いったいどのようなものなのでしょうか。

一度信じた人が、それに偽りがあると知ったときの怒りがどれほどのものか、弁護士であれば知らないはずがないでしょうに。

No.84 82ヶ月前

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