関西ゴー宣道場設営隊のだふねです(^^♪ 今週も配信ありがとうございます。 先生っ、「よーしゃなく厳しい攻め」についての真面目なお答え、承りました(/ω\)イヤン 夫の同意は得ていますので…というのは冗談ですが、本当は、ゴカイダーを覚えておられるかどうかが質問の主旨だったのです(笑)。ちゃんと覚えていらしたのですね。失礼いたしました。 『辻説法』の「寝耳の♯MeToo」を拝読しました。 「女がわしの生きがいだ! わしは圧倒的に女の味方になる!!」というよしりん先生のお言葉、励まされたような気持ちです。世の男性の大半は善良であると私は信じていますが、酷い被害に遭って人間不信に陥っている女性もいそうですから、これは拡散したいと考えました。ありがとうございます。 「実力者から、俺と仕事したけりゃホテルの部屋に来い、と言われたら?」という問いに、りか坊さんが「ディカプリオみたいなイケメンなら考える」と答えましたが、おそらくこれが大半の女性の声でしょう。そこは私も「MeToo」ということで。そうなると一方的なハラスメントというよりは、お互い合意の上の恋愛になりますね。(あ、男にとっては射精したいだけ、か。残念。) 男性からすれば「なんじゃそりゃ」でしょうね。「セクハラ親父でも顔が良けりゃいいんかい、これだから女は信用できない、女は自分に言い訳しながらも自分の利益のためなら体だって差し出せる、同情の余地ないぞ」と、被差別的な感情を抱くでしょう。 たしかに女性はそういう一面があります。本当にいやなことは絶対にしません。最初はいやだと思っていても、何らかの見返りがあったり、そこに悦びが生じれば「これもアリか」と受け入れる逞しさがあります。男性が元々個性的で魅力的な人物なら、女性の中にも情が芽生えうる。そういう粋なドラマも生まれる可能性があるから、カトリーヌ・ドヌーブは「男が女を口説く自由はある」と主張したのかも知れません。でも、男女がそうそう、そんな自由で大人な関係ばかりでいられるわけがない。それも、男性にとって都合の良い論理に過ぎないのに。ドヌーブは才能のある世界的な名声を持つ2人の男性との間にそれぞれ子をなし、未婚のままで産み育てましたが、世の中の女性が皆自分みたいな強者ではないという、あたりまえの発想がなかったようです。 権力をカサにきなければ、卑怯な手を使わなければ女一人をモノにできない、性的魅力がカケラもない男性は哀れだし、みっともない。そしてそういう男性に屈服させられたり、いやでしょうがないのに身をまかせなければならない女性に、「いやなら断れ、拒む権利ぐらいあるだろう」なんて正論は惨めに感じさせ、追いつめるだけでしょう。 私にとって身近なセクハラといえば…。昔勤めていた会社で、派遣社員の30代前半の美女が、部長に言い寄られていました。(その部長には男性的魅力はなかったですね。同じ年代でも、関西設営隊の男性陣とはえらいちがいだよなぁと、それはともかく。)騙し討ちのような感じで勤務時間外に2人きりになるように待ち合わせさせられたり、電話番号を書いた紙きれを握らされたり(これは現物を見せられた女子全員で大笑いしました)。この部長にとってはセクハラという意識はなく、あくまで恋愛のつもりだったのでしょうが。気の毒というか、おめでたいというか、ほんと男ってバカだ、つける薬がねぇわと。 でも、不思議なもので、男性って「ちょっといやがるそぶりを見せるだけ」、あるいは「本気でいやがってなさそう(に見える)」という女性にちょっかいを出す傾向があるようです。会社でも、日頃愚痴をこぼしていた女子社員は、常識と節度があり上司にウケがいい雰囲気美人が多かったです。かといって、女性も会社で被る仮面は簡単に取り外せないのだから、辛かっただろうな。そこをわかってやれよ、男は。勘違いせんと。あ、そういう機微を理解しないから、部下を平気でおもちゃにできるわけか。 ちなみに私は、上司に「いいでしょう、〇〇さん、飲みに行きましょう、受けて立ちます、逃がしませんよ」という返しができるキャラを演じていました。男性からすれば、ノリが良い部下は、ちょっかい出す面白味も甲斐もなかったのでしょう。だから、私はセクハラの類を一切受けたことがないです。自慢にならないか。
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関西ゴー宣道場設営隊のだふねです(^^♪
今週も配信ありがとうございます。
先生っ、「よーしゃなく厳しい攻め」についての真面目なお答え、承りました(/ω\)イヤン
夫の同意は得ていますので…というのは冗談ですが、本当は、ゴカイダーを覚えておられるかどうかが質問の主旨だったのです(笑)。ちゃんと覚えていらしたのですね。失礼いたしました。
『辻説法』の「寝耳の♯MeToo」を拝読しました。
「女がわしの生きがいだ! わしは圧倒的に女の味方になる!!」というよしりん先生のお言葉、励まされたような気持ちです。世の男性の大半は善良であると私は信じていますが、酷い被害に遭って人間不信に陥っている女性もいそうですから、これは拡散したいと考えました。ありがとうございます。
「実力者から、俺と仕事したけりゃホテルの部屋に来い、と言われたら?」という問いに、りか坊さんが「ディカプリオみたいなイケメンなら考える」と答えましたが、おそらくこれが大半の女性の声でしょう。そこは私も「MeToo」ということで。そうなると一方的なハラスメントというよりは、お互い合意の上の恋愛になりますね。(あ、男にとっては射精したいだけ、か。残念。)
男性からすれば「なんじゃそりゃ」でしょうね。「セクハラ親父でも顔が良けりゃいいんかい、これだから女は信用できない、女は自分に言い訳しながらも自分の利益のためなら体だって差し出せる、同情の余地ないぞ」と、被差別的な感情を抱くでしょう。
たしかに女性はそういう一面があります。本当にいやなことは絶対にしません。最初はいやだと思っていても、何らかの見返りがあったり、そこに悦びが生じれば「これもアリか」と受け入れる逞しさがあります。男性が元々個性的で魅力的な人物なら、女性の中にも情が芽生えうる。そういう粋なドラマも生まれる可能性があるから、カトリーヌ・ドヌーブは「男が女を口説く自由はある」と主張したのかも知れません。でも、男女がそうそう、そんな自由で大人な関係ばかりでいられるわけがない。それも、男性にとって都合の良い論理に過ぎないのに。ドヌーブは才能のある世界的な名声を持つ2人の男性との間にそれぞれ子をなし、未婚のままで産み育てましたが、世の中の女性が皆自分みたいな強者ではないという、あたりまえの発想がなかったようです。
権力をカサにきなければ、卑怯な手を使わなければ女一人をモノにできない、性的魅力がカケラもない男性は哀れだし、みっともない。そしてそういう男性に屈服させられたり、いやでしょうがないのに身をまかせなければならない女性に、「いやなら断れ、拒む権利ぐらいあるだろう」なんて正論は惨めに感じさせ、追いつめるだけでしょう。
私にとって身近なセクハラといえば…。昔勤めていた会社で、派遣社員の30代前半の美女が、部長に言い寄られていました。(その部長には男性的魅力はなかったですね。同じ年代でも、関西設営隊の男性陣とはえらいちがいだよなぁと、それはともかく。)騙し討ちのような感じで勤務時間外に2人きりになるように待ち合わせさせられたり、電話番号を書いた紙きれを握らされたり(これは現物を見せられた女子全員で大笑いしました)。この部長にとってはセクハラという意識はなく、あくまで恋愛のつもりだったのでしょうが。気の毒というか、おめでたいというか、ほんと男ってバカだ、つける薬がねぇわと。
でも、不思議なもので、男性って「ちょっといやがるそぶりを見せるだけ」、あるいは「本気でいやがってなさそう(に見える)」という女性にちょっかいを出す傾向があるようです。会社でも、日頃愚痴をこぼしていた女子社員は、常識と節度があり上司にウケがいい雰囲気美人が多かったです。かといって、女性も会社で被る仮面は簡単に取り外せないのだから、辛かっただろうな。そこをわかってやれよ、男は。勘違いせんと。あ、そういう機微を理解しないから、部下を平気でおもちゃにできるわけか。
ちなみに私は、上司に「いいでしょう、〇〇さん、飲みに行きましょう、受けて立ちます、逃がしませんよ」という返しができるキャラを演じていました。男性からすれば、ノリが良い部下は、ちょっかい出す面白味も甲斐もなかったのでしょう。だから、私はセクハラの類を一切受けたことがないです。自慢にならないか。