さっそくよしりん辻説法【寝耳に#MeToo】を読ませていただきました。さすがとてもわかりやすかったですね。これを読んでもピンとこない人がいるとしたら、保守系のベテラン女性論客に対して感じたよしりん先生と同じように、諦めるしかないかもしれません。 女に対する男からのセクハラには、根っこに男尊女卑がある場合が多分にありますが、【寝耳に#MeToo】の中にありましたように、「権力を悪用したパワハラ」という側面も確実にあることが、カトリーヌ・ドヌーヴにも、彼女らに共感する女性たちにも、その保守系のベテラン女性論客にも、それが見えない、わからないのでしょうね。 今回描かれてあったことで、とくに盲点になりがちかもしれないと思った箇所は、よしりんのセリフ、 「権力を持つ上司と、まだ新人の若い女性との力関係では、新人は教育かと思い、洗脳され、上司に服従してしまう」 それと、りか坊さんによる欄外、 「気力と時間を奪われ、視野が極端に狭くなっていると、断るという選択肢それ自体が見えなくなってしまう」 でした。 セクハラを経験したことがある女性は、そのときの悔しさや恥ずかしさ、恐怖の実感を、忘れたくても忘れることができないという現実があるいっぽう、自分の人権や尊厳が蹂躙されていることに気づけていない場合があるということ。この場合、その実は服従であっても、同意に見える可能性が高いです。客観的にだけではなく、やっかいなことにそのときは自覚的にも。 としますと、冒頭にあった「過去のセクハラを今、告発するってのは、実証できるのか怪しいし、誤解もあろうし、痴漢冤罪みたいな怖さもある」というのはその通りだとも思うのですが、あらためて振り返ってみたときに、あれはパワハラがベースにあるセクハラだったと、後になって気づくこともあるのではないかと思います。 考えれば考えるほど、この問題の根深さに気づかされます。 それと、最後にあったりか坊さんの問いに対して、よしりんが「わしは女好きだからだ」と答えるシーンがさりげなく描かれてありますが、この問題の核心を突いているひとつなのではないかと思います。 女好きならセクハラなんかしないし、相手を尊重していればパワハラもしないし、ましてや相手のことを思ったり、好意があるなら、力でねじ伏せ、服従させ、相手を自分の思い通りになんてするはずがないのですから。 要するに、カトリーヌ・ドヌーヴらが言っていたのは、まったくの的外れということです。 ワインスタインにしろ、山口某にしろ、彼らが一番したいこと、本当に好きなものは何か、それをあらためて考えてみたときに、見えてくるものがあるのではないかと思います。
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小林よしのりチャンネル
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さっそくよしりん辻説法【寝耳に#MeToo】を読ませていただきました。さすがとてもわかりやすかったですね。これを読んでもピンとこない人がいるとしたら、保守系のベテラン女性論客に対して感じたよしりん先生と同じように、諦めるしかないかもしれません。
女に対する男からのセクハラには、根っこに男尊女卑がある場合が多分にありますが、【寝耳に#MeToo】の中にありましたように、「権力を悪用したパワハラ」という側面も確実にあることが、カトリーヌ・ドヌーヴにも、彼女らに共感する女性たちにも、その保守系のベテラン女性論客にも、それが見えない、わからないのでしょうね。
今回描かれてあったことで、とくに盲点になりがちかもしれないと思った箇所は、よしりんのセリフ、
「権力を持つ上司と、まだ新人の若い女性との力関係では、新人は教育かと思い、洗脳され、上司に服従してしまう」
それと、りか坊さんによる欄外、
「気力と時間を奪われ、視野が極端に狭くなっていると、断るという選択肢それ自体が見えなくなってしまう」
でした。
セクハラを経験したことがある女性は、そのときの悔しさや恥ずかしさ、恐怖の実感を、忘れたくても忘れることができないという現実があるいっぽう、自分の人権や尊厳が蹂躙されていることに気づけていない場合があるということ。この場合、その実は服従であっても、同意に見える可能性が高いです。客観的にだけではなく、やっかいなことにそのときは自覚的にも。
としますと、冒頭にあった「過去のセクハラを今、告発するってのは、実証できるのか怪しいし、誤解もあろうし、痴漢冤罪みたいな怖さもある」というのはその通りだとも思うのですが、あらためて振り返ってみたときに、あれはパワハラがベースにあるセクハラだったと、後になって気づくこともあるのではないかと思います。
考えれば考えるほど、この問題の根深さに気づかされます。
それと、最後にあったりか坊さんの問いに対して、よしりんが「わしは女好きだからだ」と答えるシーンがさりげなく描かれてありますが、この問題の核心を突いているひとつなのではないかと思います。
女好きならセクハラなんかしないし、相手を尊重していればパワハラもしないし、ましてや相手のことを思ったり、好意があるなら、力でねじ伏せ、服従させ、相手を自分の思い通りになんてするはずがないのですから。
要するに、カトリーヌ・ドヌーヴらが言っていたのは、まったくの的外れということです。
ワインスタインにしろ、山口某にしろ、彼らが一番したいこと、本当に好きなものは何か、それをあらためて考えてみたときに、見えてくるものがあるのではないかと思います。