くだかけ のコメント

「新・堕落論」幾度か拝読し、これまでいろいろなことを考えています。
今回、太宰の「トカトントン」は未読だったので読んでみました。また、安吾の「堕落論」「続堕落論」を読み返しました。
太宰と安吾に通底しているのが、戦時中日本を覆っていた、「美しい幻影」としての愛国心や天皇を一夜にして喪った日本人と、その空虚への向き合い方だと読みました。
安吾が「生きよ堕ちよ」といったのは、虚しい個を虚構の美しさで埋めようとするな、人間の本性の底の底まで見つめて、本物を見つけろ、ということだと理解しています。
太宰はトカトントンの結び部分で「作家」の返信として「十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」この場合の「懼る」は、「畏敬」の意にちかいようです。」といっていますが、これも安吾の「堕落」と同じことを言っているのだと思います。
人間は、というか自分は弱いので、よくよく勇気を振るわないと「堕落」することも、霊魂までゲヘナに焼くことも簡単ではありません。堕ちる途中でどうしても、まやかしの美しさに縋ろうとしてしまいます。決して「利な近道」などではありません。

スマホなどの新しい技術や、「イノベーション」や、あるいは「構造改革」や「一億総活躍」や「日本スゴイ」は、まず空虚な個を埋めるためだけの美しい幻影にすぎない点で、堕落ではあっても安吾の「正しく堕ちる道」ではないのだろうと思います。それらを取り去って、堕ち抜くことができるか。堕ちきったあとに「自分自身の武士道」「自分自身の天皇」を獲得できるのか、問い続けたいと思いました。

今回、「新・堕落論」で「トカトントン」と「堕落論」を繋げて見せて下さったことがとてもありがたいと思いました。
また、「戦争論」で提示された「個と公」というテーマのうち、「公」を考えがちだった自分にとって、改めて「個」の内実を迫られる内容でした。
そしてやっぱり読書は楽しい。

まだまだ考えている途中です。長文大変申し訳ありませんが、また感想、疑問など書かせていただきたいと思います。

No.208 75ヶ月前

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