小林よしのりは、白鵬の相撲は美しくないとか言っているが、相撲の美学を含めて語るとかなり長くなるので、 ネトウヨ並みにイチャモンを付けている白鵬のかち上げについて違和感や突っ込みどころがあるので取り上げてみる。 白鵬の張り手やかち上げを、小林よしのりはプロレス技と断言しているが、かち上げは歴とした相撲の技である。 確かに基本となる相撲のかち上げは、前腕部から肘を使って上体を起こす技ではあるが、立ち合いの際に基本通りに行かずに上体ではなくアゴや顔に当たることはよくあることだろう。 以前に相撲解説者の元横綱北の富士は、白鵬が張り差しとかち上げの合わせ技をやり出したときに「どこで知ったのかは分からないが、どえらい技を覚えてしまった」ということを正確ではないかも知れないが、そのようなニュアンスで白鵬のかち上げ技を批判せずに語ったのを個人的には覚えている。 それはかち上げ等を得意としてたからそんな感想が出たの知れないが、 口うるさい北の富士が、白鵬のかち上げを事実上容認してるということは、かち上げという技で前腕部や肘が相手の顔面に当たるのは、それが例え意図を持っていたとしても相撲を闘う上では許容範囲、あるいはグレーゾーンだと個人的に解釈している。 例えば、相撲ではないが中国武術では、始めは拳で攻撃をして、それが外れたら肘を使い、それが効かないなら体当たりをするという一つの技の中で、点から線、面と攻撃を仕掛けることで相手から反撃されるリスクを出来るだけ回避する技がある。 相撲のかち上げも、素早い立ち合いの中で上体を崩す為には、単純に点で狙うだけじゃなく、胸からのどやアゴ、顔面への線や面の流れで攻撃した方が、相手から躱されたり反撃されるリスクを回避出来るのではないか? 少なくとも相撲を武術や格技として考えた場合は、白鵬のかち上げは理にかなってる。と個人的には捉えている。 そのかち上げについて貴乃花の弟である元横綱若乃花のメディアでの発言を引用すると 「これは、それに勝てない人が悪い。 張り差し、エルボーをやると、脇が空くんですね。それは普通、簡単に勝てるんですよ。 逆に、それをやってくれた方が勝つんです。それで勝てないのは、相手の力士に力がないということなんです。 だから、みんな、それをやらないんです、強い人は。 わざわざスキをつくっているのに、そこを攻めればいいのに、攻められていないのが問題だと思います」と述べている。 元横綱若乃花のような見解もあるのに、その意見を殆ど無視しているのはバランスに著しく欠けていると思う。 ネトウヨや素人は論外にしても、白鵬のかち上げの件で過剰に危険視して批判してる解説者は、大体が大関にもなれない元力士か、白鵬を攻撃したい敵対な関係者に多いように個人的には感じている。 肘のサポーターにしても、報道によれば白鵬は、肘に深刻な怪我を持っていると言われてるし、モンゴル人に限らず力士の職業病とも言える部分をケアするのは当たり前のことだろう。 同じモンゴル人の朝青龍が肘の怪我で晩年は衰えが出てだのを見ていれば、力士の職業病で力士生命にも繋がる肘を守る意識が働くのは、個人的には理解出来る。 そこを意図的に無視して白鵬のサポーターを凶器みたいだとネトウヨ的な思い込みの激しい週刊誌報道で批判するのもバランスに欠けているのではないか? 白鵬憎しでバランスを崩して白鵬のかち上げは凶器だー危険だープロレス技だーと批判する前に、サポーター等の基準を決めて取組前にチェックする体制を作れば済む話ではないのか? それでもかち上げは危険だと思うなら相撲には元々あった蹴り技が禁止された歴史もあるんだし、堂々と安全性を考慮して禁止を主張するのもありだろう。 スポーツ的に考えてもレスリングは、グレコローマンスタイルが、安全性やレスリングらしさを考慮してタックルを制限するようルールを設けて投げ技中心になっている。 柔道だってタックルで勝負が決まるのはレスリングのフリースタイルみたいだから、差別化する為に最近タックルを禁止した。ということがある。 相撲の歴史を見ても、スポーツ的なルールを前提としても、顔面に当たる張り手や腕や肘が危険と言うなら禁止を主張すればいいと思う。 そもそも怪我ということを考慮するなら相撲の立ち合いは頭突きが顔面に当たることもあるし、いわゆるエルボー以上に危険な行為である。 加えて大相撲のラジオ放送が始まる前までは 土俵上には仕切り線さえなく、どこの場所から立ち合っても相手との呼吸が合えば取組が成立していた。 興行的な理由でラジオ映えやテレビ映えを重視する現代相撲は、仕切る時間は決められてるし、仕切り線を一直線上に挟んで巨漢の力士同士がぶつかり合うことが推奨されているし、 それを、さも昔から続いている伝統のように現代の日本人は思い込んでいる。 そのせいか分からないが実は現代相撲は、小型力士にとって圧倒的に不利なルールになっている。 更には興行的な見栄えを重視することで、大相撲が神事を装うなら重要であった土俵にあった四本柱もあっさりと外してしまったりする。 そんな現代の興行重視な大相撲のあり方は、本来あった相撲という格技に比べて堕落してるとも言えるのではないのか? そこに何の疑いもなく伝統だー、国技だー、神事だー、国体だーと言って白鵬やモンゴル力士を攻撃してる連中は、強いモンゴル人へのルサンチマンで畜群化してるのではないか? というより小林よしのりを含めてこの件では堕落してるように感じるんだが。 むしろもっと堕落になるのか、本来の相撲らしさの組み技や投げを抽出する為の進歩になるのかは分からないが、安全性を考慮したルールの明文化や変更は、白鵬をネトウヨ並みに攻撃するよりは遥かに筋が通っているように思う。
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小林よしのりは、白鵬の相撲は美しくないとか言っているが、相撲の美学を含めて語るとかなり長くなるので、
ネトウヨ並みにイチャモンを付けている白鵬のかち上げについて違和感や突っ込みどころがあるので取り上げてみる。
白鵬の張り手やかち上げを、小林よしのりはプロレス技と断言しているが、かち上げは歴とした相撲の技である。
確かに基本となる相撲のかち上げは、前腕部から肘を使って上体を起こす技ではあるが、立ち合いの際に基本通りに行かずに上体ではなくアゴや顔に当たることはよくあることだろう。
以前に相撲解説者の元横綱北の富士は、白鵬が張り差しとかち上げの合わせ技をやり出したときに「どこで知ったのかは分からないが、どえらい技を覚えてしまった」ということを正確ではないかも知れないが、そのようなニュアンスで白鵬のかち上げ技を批判せずに語ったのを個人的には覚えている。
それはかち上げ等を得意としてたからそんな感想が出たの知れないが、
口うるさい北の富士が、白鵬のかち上げを事実上容認してるということは、かち上げという技で前腕部や肘が相手の顔面に当たるのは、それが例え意図を持っていたとしても相撲を闘う上では許容範囲、あるいはグレーゾーンだと個人的に解釈している。
例えば、相撲ではないが中国武術では、始めは拳で攻撃をして、それが外れたら肘を使い、それが効かないなら体当たりをするという一つの技の中で、点から線、面と攻撃を仕掛けることで相手から反撃されるリスクを出来るだけ回避する技がある。
相撲のかち上げも、素早い立ち合いの中で上体を崩す為には、単純に点で狙うだけじゃなく、胸からのどやアゴ、顔面への線や面の流れで攻撃した方が、相手から躱されたり反撃されるリスクを回避出来るのではないか?
少なくとも相撲を武術や格技として考えた場合は、白鵬のかち上げは理にかなってる。と個人的には捉えている。
そのかち上げについて貴乃花の弟である元横綱若乃花のメディアでの発言を引用すると
「これは、それに勝てない人が悪い。
張り差し、エルボーをやると、脇が空くんですね。それは普通、簡単に勝てるんですよ。
逆に、それをやってくれた方が勝つんです。それで勝てないのは、相手の力士に力がないということなんです。
だから、みんな、それをやらないんです、強い人は。
わざわざスキをつくっているのに、そこを攻めればいいのに、攻められていないのが問題だと思います」と述べている。
元横綱若乃花のような見解もあるのに、その意見を殆ど無視しているのはバランスに著しく欠けていると思う。
ネトウヨや素人は論外にしても、白鵬のかち上げの件で過剰に危険視して批判してる解説者は、大体が大関にもなれない元力士か、白鵬を攻撃したい敵対な関係者に多いように個人的には感じている。
肘のサポーターにしても、報道によれば白鵬は、肘に深刻な怪我を持っていると言われてるし、モンゴル人に限らず力士の職業病とも言える部分をケアするのは当たり前のことだろう。
同じモンゴル人の朝青龍が肘の怪我で晩年は衰えが出てだのを見ていれば、力士の職業病で力士生命にも繋がる肘を守る意識が働くのは、個人的には理解出来る。
そこを意図的に無視して白鵬のサポーターを凶器みたいだとネトウヨ的な思い込みの激しい週刊誌報道で批判するのもバランスに欠けているのではないか?
白鵬憎しでバランスを崩して白鵬のかち上げは凶器だー危険だープロレス技だーと批判する前に、サポーター等の基準を決めて取組前にチェックする体制を作れば済む話ではないのか?
それでもかち上げは危険だと思うなら相撲には元々あった蹴り技が禁止された歴史もあるんだし、堂々と安全性を考慮して禁止を主張するのもありだろう。
スポーツ的に考えてもレスリングは、グレコローマンスタイルが、安全性やレスリングらしさを考慮してタックルを制限するようルールを設けて投げ技中心になっている。
柔道だってタックルで勝負が決まるのはレスリングのフリースタイルみたいだから、差別化する為に最近タックルを禁止した。ということがある。
相撲の歴史を見ても、スポーツ的なルールを前提としても、顔面に当たる張り手や腕や肘が危険と言うなら禁止を主張すればいいと思う。
そもそも怪我ということを考慮するなら相撲の立ち合いは頭突きが顔面に当たることもあるし、いわゆるエルボー以上に危険な行為である。
加えて大相撲のラジオ放送が始まる前までは
土俵上には仕切り線さえなく、どこの場所から立ち合っても相手との呼吸が合えば取組が成立していた。
興行的な理由でラジオ映えやテレビ映えを重視する現代相撲は、仕切る時間は決められてるし、仕切り線を一直線上に挟んで巨漢の力士同士がぶつかり合うことが推奨されているし、
それを、さも昔から続いている伝統のように現代の日本人は思い込んでいる。
そのせいか分からないが実は現代相撲は、小型力士にとって圧倒的に不利なルールになっている。
更には興行的な見栄えを重視することで、大相撲が神事を装うなら重要であった土俵にあった四本柱もあっさりと外してしまったりする。
そんな現代の興行重視な大相撲のあり方は、本来あった相撲という格技に比べて堕落してるとも言えるのではないのか?
そこに何の疑いもなく伝統だー、国技だー、神事だー、国体だーと言って白鵬やモンゴル力士を攻撃してる連中は、強いモンゴル人へのルサンチマンで畜群化してるのではないか?
というより小林よしのりを含めてこの件では堕落してるように感じるんだが。
むしろもっと堕落になるのか、本来の相撲らしさの組み技や投げを抽出する為の進歩になるのかは分からないが、安全性を考慮したルールの明文化や変更は、白鵬をネトウヨ並みに攻撃するよりは遥かに筋が通っているように思う。