一昨年くらいに、近所のTSUTAYAに「こころ」(1955年)のDVDがあったのでレンタルして観てみました。観てみようと思った理由は、監督が、何度観てもまったく飽きない「犬神家の一族」(1976年)の市川崑であること、あとは名優の森雅之(大好きなんです)が主役だからです。 若き日の作品とは言え、モノクロの市川崑らしい美しい映像による明治がそこにはあり、そこに暮らす明治の人々の息吹さえ感じられました。「先生」を演じる森雅之(1911年生まれ)は、小説家有島武郎の長男であり(森が12歳のときに、父親が心中により死去)、母方の祖父は西南戦争に従軍し、日清戦争にも出征した陸軍将校。自身も京都大学の哲学科を中退しており、生まれや育ちのよさと知性が滲み出ていて、寡黙で翳が誰よりも似合うこの人なくしてこの作品は成立しなかったであろうというくらいの適役でした。 だからそのときもそれなりに楽しめたのですが、それでも一昨年に観たときはなぜKが自殺したのかとか、そして先生自身もなぜ死を選んだのかとか、わからなかったりピンとこない場面がいくつもあり、物語にも登場人物にも最後まであまり感情移入ができなかったのも事実です。 そして今回【新・堕落論】の第15章を読み、「なるほど、そういうことだったのか」と、【新・堕落論】を片手に再びDVDを観てみたところ、見事にどのシーンもストンストンと入ってきましたし、さりげなく散りばめられている細かな伏線もよくわかりました。 今回やっとわかったわけですが、【新・堕落論】にあったように、市川版「こころ」は監督独自の解釈も含ませながら、「“金銭と恋愛をめぐるエゴイズム”と、“近代”という堕落」が、原作に忠実にしっかり描かれていました。そしてその市川版「こころ」がどれだけ名作だったかということにも【新・堕落論】のおかげで気づくことができましたし、映画の隅々まで堪能でき楽しめました。 「映画は何も知らずに観ても面白い。知ってから観ても面白い。観てから知っても面白い」というのはその通りだということがよくわかりました。
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一昨年くらいに、近所のTSUTAYAに「こころ」(1955年)のDVDがあったのでレンタルして観てみました。観てみようと思った理由は、監督が、何度観てもまったく飽きない「犬神家の一族」(1976年)の市川崑であること、あとは名優の森雅之(大好きなんです)が主役だからです。
若き日の作品とは言え、モノクロの市川崑らしい美しい映像による明治がそこにはあり、そこに暮らす明治の人々の息吹さえ感じられました。「先生」を演じる森雅之(1911年生まれ)は、小説家有島武郎の長男であり(森が12歳のときに、父親が心中により死去)、母方の祖父は西南戦争に従軍し、日清戦争にも出征した陸軍将校。自身も京都大学の哲学科を中退しており、生まれや育ちのよさと知性が滲み出ていて、寡黙で翳が誰よりも似合うこの人なくしてこの作品は成立しなかったであろうというくらいの適役でした。
だからそのときもそれなりに楽しめたのですが、それでも一昨年に観たときはなぜKが自殺したのかとか、そして先生自身もなぜ死を選んだのかとか、わからなかったりピンとこない場面がいくつもあり、物語にも登場人物にも最後まであまり感情移入ができなかったのも事実です。
そして今回【新・堕落論】の第15章を読み、「なるほど、そういうことだったのか」と、【新・堕落論】を片手に再びDVDを観てみたところ、見事にどのシーンもストンストンと入ってきましたし、さりげなく散りばめられている細かな伏線もよくわかりました。
今回やっとわかったわけですが、【新・堕落論】にあったように、市川版「こころ」は監督独自の解釈も含ませながら、「“金銭と恋愛をめぐるエゴイズム”と、“近代”という堕落」が、原作に忠実にしっかり描かれていました。そしてその市川版「こころ」がどれだけ名作だったかということにも【新・堕落論】のおかげで気づくことができましたし、映画の隅々まで堪能でき楽しめました。
「映画は何も知らずに観ても面白い。知ってから観ても面白い。観てから知っても面白い」というのはその通りだということがよくわかりました。