泉美木蘭のトンデモ見聞録・第64回「フェイクニュース事件簿2~Yahoo!一人勝ちの弊害」 前回からのヘルイレイザーを思はせる画面を見てゐても、誰が何の楽しみを求めて、どんなもくてきでかのやうな誤報を流布させてゐるのか、と思ってゐましたが、要は多数決は必ずしも民意ではない、といふのと同じで、このまへの意味のない衆議院選挙の自民圧勝の結果と同じなのだらう、といふふうに感じました。 つまり、新聞社や雜誌社でも、取材をする人と文字・語句校正をする人が別々に存在するわけで、インターネットには内容校訂をしてくれるかたがゐないから、噂を信じちゃいけないよ、といった事態が発生するのだらうと。図書だって、売れてる本が必ずしも名作ではなしに、埋もれてしまってゐるものもあるのだらうと。 次回の記事も楽しみにしてをります。 あと、生放送は勉強の片手間に少し聞いてゐましたが、会社でお茶を出すのは、女性が良い、といふのは間違ってゐるのでせうか?男尊女卑なのかと。 実をいへば、自分もそんなふうに思ってゐました。今でも自分のお茶は自分で入れるし、それ以前に罐コーヒーや罐紅茶、ペットボトルなどを自分で買ひます。 ただ、お客さんが見えられた時、さへない中年のをぢさんが出すのと、若い可愛い女性が出すのと、どちらが印象が良いと感じられるのか、といふことです。実際に、かつてつとめてゐたところの先輩に、「相手方から、『男が出すお茶なんか飲めるか」と言はれるぞ」と忠告されました。これもケースバイケースなんでせうが。 以前のライジング記事ではないですが、人間は不合理で、非論理的だ、といふことにつながってゐるやうにも感じました。感情的なので、美的にすぐれたもののはうを評価する誤謬におちいりがちだと。 ただし、その感情の中には、その人なりの経験や常識、歴史に基づく論理が働いてゐて、その意味では非常に理論的な動物なのだ、とは言へると思ふわけです。だから、言葉であらはし、その人の常識や経験に訴へかけることはとても大事であると思ひます。 それでも、他者に迷惑がかかるかも知れない、とか、今そのことを口に出すのは情況的にまづい、といった判断もあるわけで、人と人とのコミュニケーションは難事であり、(私がよく口にすることですが)何かテレパシーのやうなものがあればいい、と思ったりしますが、それはそれで内心の祕密を握られるやうな気がして、地獄だらうな、と。 先の話にもどりますが、「ただ逃げる」なんてことは、さう言った意味からも覚悟がないと口にしてはならない、と思ひます。 といふことで、今回もぎりぎりでしたが、また次回を楽しみにしてをります。 それと、「おぼっちゃまくん」、連載おめでたうございます。「大人のヤッターマン」ならぬ、「大人の」おぼっちゃまくんが描かれるものと期待してゐます。
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泉美木蘭のトンデモ見聞録・第64回「フェイクニュース事件簿2~Yahoo!一人勝ちの弊害」
前回からのヘルイレイザーを思はせる画面を見てゐても、誰が何の楽しみを求めて、どんなもくてきでかのやうな誤報を流布させてゐるのか、と思ってゐましたが、要は多数決は必ずしも民意ではない、といふのと同じで、このまへの意味のない衆議院選挙の自民圧勝の結果と同じなのだらう、といふふうに感じました。
つまり、新聞社や雜誌社でも、取材をする人と文字・語句校正をする人が別々に存在するわけで、インターネットには内容校訂をしてくれるかたがゐないから、噂を信じちゃいけないよ、といった事態が発生するのだらうと。図書だって、売れてる本が必ずしも名作ではなしに、埋もれてしまってゐるものもあるのだらうと。
次回の記事も楽しみにしてをります。
あと、生放送は勉強の片手間に少し聞いてゐましたが、会社でお茶を出すのは、女性が良い、といふのは間違ってゐるのでせうか?男尊女卑なのかと。
実をいへば、自分もそんなふうに思ってゐました。今でも自分のお茶は自分で入れるし、それ以前に罐コーヒーや罐紅茶、ペットボトルなどを自分で買ひます。
ただ、お客さんが見えられた時、さへない中年のをぢさんが出すのと、若い可愛い女性が出すのと、どちらが印象が良いと感じられるのか、といふことです。実際に、かつてつとめてゐたところの先輩に、「相手方から、『男が出すお茶なんか飲めるか」と言はれるぞ」と忠告されました。これもケースバイケースなんでせうが。
以前のライジング記事ではないですが、人間は不合理で、非論理的だ、といふことにつながってゐるやうにも感じました。感情的なので、美的にすぐれたもののはうを評価する誤謬におちいりがちだと。
ただし、その感情の中には、その人なりの経験や常識、歴史に基づく論理が働いてゐて、その意味では非常に理論的な動物なのだ、とは言へると思ふわけです。だから、言葉であらはし、その人の常識や経験に訴へかけることはとても大事であると思ひます。
それでも、他者に迷惑がかかるかも知れない、とか、今そのことを口に出すのは情況的にまづい、といった判断もあるわけで、人と人とのコミュニケーションは難事であり、(私がよく口にすることですが)何かテレパシーのやうなものがあればいい、と思ったりしますが、それはそれで内心の祕密を握られるやうな気がして、地獄だらうな、と。
先の話にもどりますが、「ただ逃げる」なんてことは、さう言った意味からも覚悟がないと口にしてはならない、と思ひます。
といふことで、今回もぎりぎりでしたが、また次回を楽しみにしてをります。
それと、「おぼっちゃまくん」、連載おめでたうございます。「大人のヤッターマン」ならぬ、「大人の」おぼっちゃまくんが描かれるものと期待してゐます。