希蝶 のコメント

>>171
 分をわきまへず、思ひあがってしまったみたいで、ごめんな犀。話のついでに、「宿禰」についても解説します。
 これは「姓(かばね)」と言って、氏と名前のあひだに這入る、代々受け継がれる称号みたいなものです。語源は「少兄(すくなえ)」の略といはれてをり、元来は有力者の名前につけられた「尊称」です。
 つまり、武内宿禰(たけのうちの すくね)、古事記では「建内宿禰(たけしうちの すくね)」は、伝説によると孝元天皇の子孫で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五朝244年間仕え、蝦夷地の視察、神功皇后を助けて新羅征伐、香坂(かごさか)・忍熊(おしくま)二王子追討に活躍したといはれてゐますが、これは明らかに一個人の事績ではなく、武内といふ一族の、宿禰といふ称号を冠した人たちの年代記だったらうと思はれます。
 武内宿禰の子孫として、葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)や、平群木兎(へぐりの づく)、時代が下がって蘇我稲目などがをりますが、これも、おそらく高貴なな血筋に結びつけようといふ、血統主義なのではないか、と思はれます。
 「野見宿禰」の場合も、多分、出雲出身の野見氏、あるいは野見といふ名前の、宿禰の姓を持った人、みたいな意味だったのでせう。後年天皇より授与されたフルネームを言ふと、土師臣野見(はじのおみ のみ)とでもなるのか?
 
 天武天皇の「八色の姓(やくさのかばね)」によって、「宿禰」は正式な「かばね」となり、大供氏・佐伯氏などに、旧来の連(むらじ)姓を持った豪族に付与された、といふことです。
 あと、もう少しトリビアを述べますと、仁徳天皇(大鷦鷯尊)と平群木兎が生まれた日が同じで、産屋にとびこんだ鳥がそれぞれみみづくと、鷦鷯(ささぎ)〔みそさざい〕だったため、名前を交換した、といふエピソードも残されてゐます。木兎宿禰(づくのすくね)は、仁徳の後の天皇三代の後見をし、盟神探湯(くがたち)で、政敵を排除するなど、かなりのやりてだったさうで、子孫の真鳥(まとり)の時にも、仁賢天皇、武烈天皇を擁立したさうですが、結局、その武烈天皇に滅ぼされたさうです。
 それと、スケートに村主章枝(すぐり ふみえ)さんといふかたがをられましたが、この「村主(すぐり)」は朝鮮半島からの帰化人系統の「八色の姓」の一つださうです。「勝呂(すぐろ)」→「勝(かつ)」なども、ここから派生してゐます。
 何だか、面倒臭い話でごめんなさい。わかりにくい話だったら、よみとばしてください。
(出典:岩波日本史事典、三省堂コンサイス日本人名事典など。山川の日本語用語集なども参照しました)

No.211 84ヶ月前

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