希蝶 のコメント

 皆樣、新年あけましておめでたうございます。
 昨年は激動の一年だったやうに感じます。今年はもっとおだやかな一年であってほしいのですが、そのまへに、安倍政権がなんとかなってほしいです。

>>121
 いい加減にどこかへ行ってください。かういふ時こそ忖度して、「いやしけ吉事」にせなむ、といった、みんな感じに。
 ちなみに、高森先生のあげたあの歌、かなり前に年賀はがきで印刷してみたことがあります(小林先生あてにも出しました。ほんたうに昔、何ですが)。

 あと、相撲(すまふ)が神事だといふ話について、有名な話なので、みなさんご存じだらうと思ふのですが。
 まづ、國譲りの神話で、大国主神の息子である建御名方神(たけみかなたのかみ)と、高天原側の建御雷神(たけみかづちのかみ)との争ひがあって、
 それから、垂仁天皇の時代に当麻蹶速(たひまのけはや)といふ人が、自分の強さを誇って、暴虐を働いたのを、野見宿禰(のみのすくね)といふ人が、ボクシング同樣の技で、なぐり殺した、といふ話があり、これが相撲の始まりだと言はれてゐます。
 この場合、蹶速のはうが、天皇に無礼を働いたので、不敬だといふことで野見宿禰が成敗した、といふ話だった筈です(ここで重要なのは、天皇陛下の御前で、宿禰は蹶速を殺してゐる、といふ点)

 そして、のちに奈良・平安時代の相撲節会(すまひのせちゑ)といふ形で、天皇陛下に神事として、五穀豊穣を願ふ行事として確立した、といふことださうです。

 すなはち、相撲には、当初から皇室、天照大御神と結びついてゐるのだ、といふことです。単純に力技を競ふ競技ではない筈です(資料が手元にないので、詳しくはあげられないのですが)。

 といふむづかしい話を抜きにしても、相撲が特別な何か、であるのは国技館とか土俵などからも分かると思ひます。モンゴル相撲も、そんなふうなものである筈です。

 ちなみに、マルクス・アウレリウスは処世法を、角力にたとへて、どこから突き出される張り手に対しても、対処すべきだみたいなことを述べてゐます。(第七章61項)。この場合の角力は、相撲とは違ふのだらふと想像します。

ついでなので
 「存在しないものを、すでに存在するものと考えるな。それよりも現存するものの中からもっとも有難いものを数え上げ、もしこれがなかったら、どんなにこれを追い求めたであろうかということを、これに関して忘れぬようにせよ。しかし同時に、これを楽しむあまり重要視しすぎる習慣に陥り、そのためにこれがなくなったら気も巓倒してしむようなことにならないように注意せよ。」(同章、27項)

 新年しょっぱなから、くだらない話でした。相撲について、もう少し調べてみます。

追記:「すまふ」って、古代の発音だと、「sumapu」、すなはち「SMAP」と同じやうな発音になるさうです(ちょっと不敬ですか?)

No.124 83ヶ月前

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