リボンの騎士 のコメント

土曜日になってしまいましたが、今号のゴー宣を読んでの感想を書かせていただきます。

鉄のカーテンがあった時代、社会主義国との国境を有するオーストリアの首都ウィーンに、難民収容所があったと聞いたことがあります。そこは、社会主義国から自由主義国に脱出した難民を収容するところではなく、社会主義国から自由主義国への脱出に成功した人々の中で、再び共産国へ戻りたくなった人を、収容するところなのだそうです。
出国の難しい国は帰国も難しいため、母国から帰国が許されるまでの期間その収容所で過ごすとのこと。そこで過ごす難民曰く、
「自由を求めて脱出したが、いざ自由を手にしたら、その緊張に耐えられず、自ら考え、選択し続けなければならないことが苦しい。共産国は、給料は安いし、不自由だが、楽だ」と。
社会主義国が破綻した理由の一端が見えるようですが、ひと昔前且つ外国の話と、つまり対岸の火事のように思っていたのに、今号のライジングゴー宣を拝読し、現代且つ我が国の状態がすっぽりと言っていいくらい当てはまっていると思えてならず、すっかり頭を抱えてしまいました。
違うところといえば、自分たちが「不自由」であること、あとは「自主的にファシズムに参加し、ファシズム体制を作り上げている」ことに無自覚、ということでしょうか。なおダメじゃん!!

マキャヴェリという人の言葉で、
「民衆というものは、善政に浴している限り、自由なぞを望みも求めもしない」
というのがあるそうなのですが、そもそも、「自由を望みも求めもしない民衆」には、善政と悪政の判断はできないのではないか、と。
さすがに、今の日本人に、「自由と不自由のどちらを望むか」と訊けば、(少なくとも反射的には)「自由」と答えるとは思うのですが、御用メディアと化したマスコミが、いつの間にか三権分立が成立しなくなっている状態であることや、諸々の悪政を報道せず、権力者にとって都合のよいことばかりを垂れ流している状態では、国民は自分が不自由な状態に置かれていることにも気づけないし、ゴー宣で何度も指摘されている、人間は見たいものしか見ない、聞きたいものしか聞かないという、本能として楽をしたい、弱い生きものとして楽に流されやすい人間に、悪政と善政の判断がつけられるはずがありません。考えるって、楽とは対極にあることですから。

ソフトファシズムが、いつのまにかハードファシズムになってしまっていても、そのときはもはや気づけない状態になってしまっているのではないか、、、そんな気さえしてきてしまいました。
読み応えのあったゴー宣でしたが、怖いゴー宣でもありました。もちろん怖いのは、今のこの社会であり、世の中なのですが。

No.93 84ヶ月前

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