山尾志桜里議員、立縣民主党、入党おめでたうございます。やうやく、先生がたの懸念されてゐた問題の一つが解決されましたね。 でも、本当の戦ひはこれから。安倍に対向できる憲法案を打ち出せるか否か、でせう。 今号のライジングの感想です。よしりん先生、もくれんさんのコラムは、どれも同じことを別の角度からとらへてゐるな、と感じました。 物事を感じ取り、考へる習慣が劣化しつつある、といふことです。 おそらく、そこには機械文明の恩恵といふこともあるのでせう。文明が発達・発展し、機械によって生活が便利になると、人は自分自身で判断する領域を狹め、頭を使ふ比重を減らさうとします。その結果、文明や文化は栄えるけれども、人間そのものが進歩・進化しない、といった現象があらはれると思ふのです。 なんか、かたっ苦しく記してみましたが、スマホやPCがあると、いろんなことができちゃふので、かへって、自分では何も判断しなくなったり、考へなくなったりしがちだ、といふやうなことが言ひたいだけです。 だから、リーダーシップのある人をかしらにいただきたくなる。その人に何でも判断してもらひたくなるんだ、と。 文明の発祥によって、貧富の差、都市国家や王国が誕生するのは、それが原因だからでせう。 だから、ソドムとゴモラ、バビロンなどのやうに、モヘンジョ・ダロやハラッパーが廃墟となったみたいなことが起きるんだと。 私も若い頃は個性を優先するのが良い、みたいに考へてゐましたが、文章や仕事にしたって、まづはベテランのかたのやりかたを真似て、そこからアウフヘーベンして、自分のやりかたを磨いてゆくのが肝要だと思ひます。 上から押しつけられるだけではなく、かといって、人生の先輩の経験を無にすることなく、それらを土台として、坩堝として、新たなる自分の方針を打ち出してゆく。それが、文明の発展した社会の名香で、多様性を見いだしてゆくことなのではないか、と。 なんか、有りふれた感想になってしまひましたが、先に自分が記したこととリンクさせると、悪口を人から言はれ続けてゐると、それが当たり前であるかのやうな感覚になり、真に内省することもできなくなり(自分は悪しきものなんだ、仕方がない、で終はってしまひ)、ではどうすればよいのかが見えなくなってくるのだらうとも。 あと、みんな「社交」といふ「演技」や「芝居」を「社会」の中て繰り返してきてゐるのだ、とか、二重人格だ。とか言ふ結論にもなりかねないのだと。 ここで間違へてはならぬのは、あくまでも、自分の実感にもとづく限りでは、なのです。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶといった、ビスマルクの言葉は、さうしたものを踏まへてゐるのだと思ひます。 自分の未知の領域がこの世界にはごまんとあるのだ、といふことです。 とりあへず、今回はこんなところにしておきます。
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小林よしのりチャンネル
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山尾志桜里議員、立縣民主党、入党おめでたうございます。やうやく、先生がたの懸念されてゐた問題の一つが解決されましたね。
でも、本当の戦ひはこれから。安倍に対向できる憲法案を打ち出せるか否か、でせう。
今号のライジングの感想です。よしりん先生、もくれんさんのコラムは、どれも同じことを別の角度からとらへてゐるな、と感じました。
物事を感じ取り、考へる習慣が劣化しつつある、といふことです。
おそらく、そこには機械文明の恩恵といふこともあるのでせう。文明が発達・発展し、機械によって生活が便利になると、人は自分自身で判断する領域を狹め、頭を使ふ比重を減らさうとします。その結果、文明や文化は栄えるけれども、人間そのものが進歩・進化しない、といった現象があらはれると思ふのです。
なんか、かたっ苦しく記してみましたが、スマホやPCがあると、いろんなことができちゃふので、かへって、自分では何も判断しなくなったり、考へなくなったりしがちだ、といふやうなことが言ひたいだけです。
だから、リーダーシップのある人をかしらにいただきたくなる。その人に何でも判断してもらひたくなるんだ、と。
文明の発祥によって、貧富の差、都市国家や王国が誕生するのは、それが原因だからでせう。
だから、ソドムとゴモラ、バビロンなどのやうに、モヘンジョ・ダロやハラッパーが廃墟となったみたいなことが起きるんだと。
私も若い頃は個性を優先するのが良い、みたいに考へてゐましたが、文章や仕事にしたって、まづはベテランのかたのやりかたを真似て、そこからアウフヘーベンして、自分のやりかたを磨いてゆくのが肝要だと思ひます。
上から押しつけられるだけではなく、かといって、人生の先輩の経験を無にすることなく、それらを土台として、坩堝として、新たなる自分の方針を打ち出してゆく。それが、文明の発展した社会の名香で、多様性を見いだしてゆくことなのではないか、と。
なんか、有りふれた感想になってしまひましたが、先に自分が記したこととリンクさせると、悪口を人から言はれ続けてゐると、それが当たり前であるかのやうな感覚になり、真に内省することもできなくなり(自分は悪しきものなんだ、仕方がない、で終はってしまひ)、ではどうすればよいのかが見えなくなってくるのだらうとも。
あと、みんな「社交」といふ「演技」や「芝居」を「社会」の中て繰り返してきてゐるのだ、とか、二重人格だ。とか言ふ結論にもなりかねないのだと。
ここで間違へてはならぬのは、あくまでも、自分の実感にもとづく限りでは、なのです。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶといった、ビスマルクの言葉は、さうしたものを踏まへてゐるのだと思ひます。
自分の未知の領域がこの世界にはごまんとあるのだ、といふことです。
とりあへず、今回はこんなところにしておきます。