発狂荒らし氏は相手にしませんが、こうした前後不一致・矛盾などを指摘するアンチが後を絶たないようなので、私自身が『ゴー宣』や『ライジング』、その他小林先生の作品に限らず、あらゆる著作物に接するにあたって考えていることを書いてみます。 大前提は、『ライジング』で蓮舫議員の「二重国籍」問題について扱った記事です。 そこで小林先生は、「人間は変わるものである」「以前と発言内容が変わったならば、何故変わったのかを自分で説明できればそれでよい」と書かれていました。 至極、真っ当な意見です。 「変わる」ことを否定するのは、「学ぶ」ことを拒み、自身の誤りを認識せず、ひたすら「思考停止」を続けるだけのことです。 私は元ネトウヨだった自分を反省して、きちんとした著作物に接して学ぶことを心がけています。 小林先生は『孤独を貫け』の中で、「一生考え続けるのが、思想家。すぐに行動するのが運動家」と発言されており、これは私にとって大きな指針となりました。 「保守」として「公」のために行動する、というスタンスさえブレなければ、その時々で自分の考えが変化していくこと自体は何の問題もないのだろうと思います。 その都度、自分の考えについて「それでよいだろうか」と謙虚に検証する過程を忘れなければよいのでしょう。 ちなみに、ネトウヨは言うまでもなく「思考停止」している存在です。 だからこそ、言葉尻を捉えた揚げ足取りしかできません。 「それ以上の領域」を想像できないので、自分としては「言ってやった、言ってやった」と自画自賛してしまうのですね。 実に刹那的な行動しかとらないので、「学ぶ」ことの重要性が分からないし、「公」のためという概念も理解できません。 フット後藤のツッコミ風に表現すると、「我々との共通点、日本語をタイプできるだけやん」ということになります。 向こうが変わらないとこちら側の言葉は通じないので、放っておくしかありません。 私としては、世の中のことについて分からないことだらけで、慢性的に読書時間不足です。 だから、過去を逐一思い返している暇もありません。 恐らく小林先生も、我々とは全く異なる高い次元で、同じような感覚をお持ちかもしれません。 そういえば、やはり『ライジング』で「アンチはわしが全知全能の神であるかのように認識している」と書かれていたこともありましたね。 全知全能の域に達することなど有り得ないのだから、存分に学んで変化し続ける人生を送りたいと思っております。
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発狂荒らし氏は相手にしませんが、こうした前後不一致・矛盾などを指摘するアンチが後を絶たないようなので、私自身が『ゴー宣』や『ライジング』、その他小林先生の作品に限らず、あらゆる著作物に接するにあたって考えていることを書いてみます。
大前提は、『ライジング』で蓮舫議員の「二重国籍」問題について扱った記事です。
そこで小林先生は、「人間は変わるものである」「以前と発言内容が変わったならば、何故変わったのかを自分で説明できればそれでよい」と書かれていました。
至極、真っ当な意見です。
「変わる」ことを否定するのは、「学ぶ」ことを拒み、自身の誤りを認識せず、ひたすら「思考停止」を続けるだけのことです。
私は元ネトウヨだった自分を反省して、きちんとした著作物に接して学ぶことを心がけています。
小林先生は『孤独を貫け』の中で、「一生考え続けるのが、思想家。すぐに行動するのが運動家」と発言されており、これは私にとって大きな指針となりました。
「保守」として「公」のために行動する、というスタンスさえブレなければ、その時々で自分の考えが変化していくこと自体は何の問題もないのだろうと思います。
その都度、自分の考えについて「それでよいだろうか」と謙虚に検証する過程を忘れなければよいのでしょう。
ちなみに、ネトウヨは言うまでもなく「思考停止」している存在です。
だからこそ、言葉尻を捉えた揚げ足取りしかできません。
「それ以上の領域」を想像できないので、自分としては「言ってやった、言ってやった」と自画自賛してしまうのですね。
実に刹那的な行動しかとらないので、「学ぶ」ことの重要性が分からないし、「公」のためという概念も理解できません。
フット後藤のツッコミ風に表現すると、「我々との共通点、日本語をタイプできるだけやん」ということになります。
向こうが変わらないとこちら側の言葉は通じないので、放っておくしかありません。
私としては、世の中のことについて分からないことだらけで、慢性的に読書時間不足です。
だから、過去を逐一思い返している暇もありません。
恐らく小林先生も、我々とは全く異なる高い次元で、同じような感覚をお持ちかもしれません。
そういえば、やはり『ライジング』で「アンチはわしが全知全能の神であるかのように認識している」と書かれていたこともありましたね。
全知全能の域に達することなど有り得ないのだから、存分に学んで変化し続ける人生を送りたいと思っております。