今週も配信お疲れ様です!ありがとうございます! 「ゴー宣」読みました。 今回は冒頭から我が地元長崎の市長の言葉が取り上げられていて、 地元民としても注目して読ませて頂きました。 現実的に核兵器がゼロになることは無い、としても、 やはり核廃絶は国際法の原理にして行って欲しいですし、 日本は被爆国として核兵器禁止条約の交渉会議に参加するべきでしたね。 被爆国が蚊帳の外なんて、こんなおかしなことはありません。 国際法には罰則はないけれども、もう18世紀や19世紀のように、大っぴらに侵略をして、 植民地の奪い合いをするような時代に逆戻りすることはない、 国際法は日々徐々に進化して行っているという指摘にはなるほどと大きく頷きました。 劣化保守・ネトウヨ達は、国際法なんか無意味、核廃絶も絵空事、反核運動は左翼・・・という思考で石化していますし、 ゴリゴリの護憲派の人達の、日本国憲法九条を有難がっている思考を嗤えないレベルだと思います。 現実も踏まえ、理想も高く持ち、進化していかなければなりませんね。 その意味で、今回の小林先生の論は、左翼の考えの数段先を行っているだけでなく、 劣化保守やネトウヨの思考よりも遥かに響きますね。 おそらく冒頭で出て来た田上長崎市長も、小林先生が打ち出されたような「日本が核を保有する」選択は手放さずに、 核保有国に核軍縮を訴えていく、というところまではいけないでしょうねたぶん。 長崎の被爆者も高齢化が進んで、今の被爆者団体も、幼少の頃に被爆した方々が中心でしょうね。 大正5年(1916年)生まれの私の亡き祖父は、戦地から内地長崎へ帰って来たところで被爆、 大正13年(1924年)生まれの亡き祖母も、戦前はマレーシアのクアラルンプールというところで洋裁をやっていたのですが、 戦争が始まる前に内地(長崎)に引き上げになって、長崎で亡き祖父と共に被爆しました。 私の亡き祖父母は20代に被爆した訳ですが、亡き祖父は戦地でよくしてもらったということで、シナ人に対しては特に悪い思いはないようで、 それは亡き祖母も同じだったのですが、アメリカには二人ともずっと怒りを覚えていたようです。 今生きてらっしゃる他の被爆者の方々がどう思っておられるのかは、TVでの証言とかを見るとかでもないとよく分かりませんが、 「過ちは繰り返しませんから」の石碑の文のように、ただもう戦争はイヤだ、という気持ちが大きいんでしょうかね。 亡き祖父は、昔の戦友が家に来ると、よく酔っ払って戦地での話をしたり、軍歌を歌ったりしていました。 「こんどアメリカと戦ったら勝つ」とかも言ってました。 子供の頃は祖父や、祖父の戦友のおじさんが酔っ払って酒臭くて声もデカいので嫌で嫌で仕方なかったんですが、 今になって思うと、いろいろと話を聞いておけばよかったと後悔しております。 「いざとなったら、こっちにだって戦争する覚悟もある」と言って、核保有国に核軍縮を迫る、その為に核保有という選択肢もあり得る、という 主張に、内心では賛同して下さる被爆者の方々も実は、案外いらっしゃるようにも思えます。 被爆者団体という形での主張にそれが出てくることは、まずないでしょうけれどもね。 日本を核廃絶の国際法の先頭に立ってもらいたいです。安倍政権はそのうち終焉を迎えるので、次政権に期待しています。 もし枝野議員が首相になることになったら、やってくれないかなあ・・・。 「トンデモ見聞録」の感想の方はまた後程・・・
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今回は冒頭から我が地元長崎の市長の言葉が取り上げられていて、
地元民としても注目して読ませて頂きました。
現実的に核兵器がゼロになることは無い、としても、
やはり核廃絶は国際法の原理にして行って欲しいですし、
日本は被爆国として核兵器禁止条約の交渉会議に参加するべきでしたね。
被爆国が蚊帳の外なんて、こんなおかしなことはありません。
国際法には罰則はないけれども、もう18世紀や19世紀のように、大っぴらに侵略をして、
植民地の奪い合いをするような時代に逆戻りすることはない、
国際法は日々徐々に進化して行っているという指摘にはなるほどと大きく頷きました。
劣化保守・ネトウヨ達は、国際法なんか無意味、核廃絶も絵空事、反核運動は左翼・・・という思考で石化していますし、
ゴリゴリの護憲派の人達の、日本国憲法九条を有難がっている思考を嗤えないレベルだと思います。
現実も踏まえ、理想も高く持ち、進化していかなければなりませんね。
その意味で、今回の小林先生の論は、左翼の考えの数段先を行っているだけでなく、
劣化保守やネトウヨの思考よりも遥かに響きますね。
おそらく冒頭で出て来た田上長崎市長も、小林先生が打ち出されたような「日本が核を保有する」選択は手放さずに、
核保有国に核軍縮を訴えていく、というところまではいけないでしょうねたぶん。
長崎の被爆者も高齢化が進んで、今の被爆者団体も、幼少の頃に被爆した方々が中心でしょうね。
大正5年(1916年)生まれの私の亡き祖父は、戦地から内地長崎へ帰って来たところで被爆、
大正13年(1924年)生まれの亡き祖母も、戦前はマレーシアのクアラルンプールというところで洋裁をやっていたのですが、
戦争が始まる前に内地(長崎)に引き上げになって、長崎で亡き祖父と共に被爆しました。
私の亡き祖父母は20代に被爆した訳ですが、亡き祖父は戦地でよくしてもらったということで、シナ人に対しては特に悪い思いはないようで、
それは亡き祖母も同じだったのですが、アメリカには二人ともずっと怒りを覚えていたようです。
今生きてらっしゃる他の被爆者の方々がどう思っておられるのかは、TVでの証言とかを見るとかでもないとよく分かりませんが、
「過ちは繰り返しませんから」の石碑の文のように、ただもう戦争はイヤだ、という気持ちが大きいんでしょうかね。
亡き祖父は、昔の戦友が家に来ると、よく酔っ払って戦地での話をしたり、軍歌を歌ったりしていました。
「こんどアメリカと戦ったら勝つ」とかも言ってました。
子供の頃は祖父や、祖父の戦友のおじさんが酔っ払って酒臭くて声もデカいので嫌で嫌で仕方なかったんですが、
今になって思うと、いろいろと話を聞いておけばよかったと後悔しております。
「いざとなったら、こっちにだって戦争する覚悟もある」と言って、核保有国に核軍縮を迫る、その為に核保有という選択肢もあり得る、という
主張に、内心では賛同して下さる被爆者の方々も実は、案外いらっしゃるようにも思えます。
被爆者団体という形での主張にそれが出てくることは、まずないでしょうけれどもね。
日本を核廃絶の国際法の先頭に立ってもらいたいです。安倍政権はそのうち終焉を迎えるので、次政権に期待しています。
もし枝野議員が首相になることになったら、やってくれないかなあ・・・。
「トンデモ見聞録」の感想の方はまた後程・・・