四君子 のコメント

 少しお邪魔します。今号のライジングの感想です。

 インダス文明のモヘンジョ・ダロやハラッパーが廃墟と化して、現代に文明が伝承されていないように、都市化・文明化とは崩潰の第一歩なのではないか、と思います。同じことは、聖書のソドムとゴモラでも言えるのではないか、と。
 先日の東京新聞に、中央区の城東小学校が東京駅の再開発で取り壊され、高層ビル内に再建されるとのっていました。築地市場の問題といい、私たちは何かと「新しい何か」を求めたがりますが、まだ使えるものを破壊して、再開発の美名の元に作り直すことが果たして良いことなのか、と思います。果たしてビルの中に再建された小学校で、児童が気分良く勉学や遊びに励むことができるのでしょうか。千住の方とかも、再開発で古い町並みがなくなったと聞いたことがあります。もっと古いものを大切にして、必要なものだけをリニューアルすることはできぬものでしょうか(首都高速の日本橋附近の地下化の問題でも、同様のことが言えそうです。大事なのは、私たちの生活を豊かにすることであって、景観も大事ですが、まづは保育園問題とか、貧困問題の方だと思うのです)。
 使えるものを取り壊したからこそ、国立競技場の現場監督の自殺事件が起こったのではありますまいか。高森先生の放送でも流されていましたが、私たちは「もの」なのかも知れないし、限界はあるのだと思いますが、単なる物体ではなく、考える力と理性を持っているはずです。
 「大東亜論 第三部」、購入しましたので、時間を設けてよんでみます。

 木蘭さんの加計学園の話も、上記の話と大いに関連があり、拝金主義こそが、文明の衰退化につながるのだろうと思います。仙台では保守系の候補が敗退したそうですが、今度、某市で行われる選挙ではカジノ問題が争点になります。果たして、こちらでは都議選や仙台のような事態が起こるのでしょうか。
 確かにお金がなければ人は生活ができないわけですが、「人はパンのみにて生くるにあらず」というように、知性と理性がなければただのけものになってしまいます。何でも良いから集金するのではなしに、どう豊かに生きられるようにすべきか、を考えてゆかなければならないと思います。

 と、一見難しそうに記してみましたが、某市の選挙でよく分からないのは、中学校給食のことです。果たして必要なのでしょうか。
 貧困問題のこともあげましたが、こういう制度でおちいりがちなこととして、「とりあえず食事をあてがっておけば良い」、という思考になりがちなところです。まさか、中学校に給食のおばちゃんを置いたり、給食室を増設するわけではないのでしょうから、確実にどこかの業者からの弁当をあてがう、という形式になるのだと想定されますが、質とか量の問題がおろそかにならないか、と懸念するのです。
 だったら、時間がかかっても、多少値段が張っても、親や自分で食事を用意できない子供は、コンビニで良いか、あるいは一食位抜いても良いか、ということになりかねないとも思うのですが、的外れな話でしょうか。「箪食瓢飲(たんしひょういん)」という、清貧をすすめるような言葉もありますが、それこそ、高森先生のビデオのような問題になりそうです。
 以上、下らないことを記しました。某市のことは某市の市民に任せるのが一番なのかも知れないですが、注目はしておいて貰いたいです。

No.130 90ヶ月前

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