四君子 のコメント

 門弟のかたの、障碍者のかたが空港で難儀された、という投稿にもコメントします。

 実体験を語りますが、私もバスなどで公共交通のただ券を見せます(実際は少しお金をとられるのですが)。その際に、自分の見せ方が拙速すぎるのか、バスの運転手に呼び止められて「お客さん!」と呼ばれることも何度かあります(中には無理矢理ひったくられそうになったりしたことも)。バス側としては、不正な乗車を防ごうとしているのでしょうが、私はこういう劵をあまり公然と見せて乗車したくはない、という思いがあるのです。その車椅子のかたが、事前予約しなかった思いとは、それとよく似ているのではないのでしょうか。

 ちなみに、私はそういうことがあって以来、バスではおおぴらに劵を見せるようにしています。
 それと、「辻説法」の内容ともかぶりますが、実は映画も安く見られるのだということを、「この世界の片隅に」を見るまで知りませんでした(「君の名は。」あたりも通常料金で拝見しました)。

 私は、こういう話は、あまり人前で公開するものではない、と思っています。差別ではなく、「障害者は感動的な人なのか」という意味においてなのです。
 確かに、その人にはその人の特徴があって、どうしてもできないことがあるのだから、それを強いて行わせるのは良くないし、法律で保護しないといけないとも感じますが、そうかと言って、その人の意見を特別扱いして良いのか、と。
 だから、また例に出してしまうのですが、件の書き起こしの際には、「何かまづいことをしたのか」と思い、あのようにしました。それと、誰かに構ってもらう、ということも避けた方がよい、と、その方が廻りに迷惑をかけなくてよいのでは、とも。
 もう少しつけ加えておきますが、カウンセリングへかよっている、というような話をすると、生命保険会社の保険の審査でふるいおとされます(何を当たり前のことを、と思われる方がいたらごめんなさい)。

 稲田大臣の失言問題が話題になっていますが、あの人は政治家として、失格ですね。
 ただ、自分の過去の発言について言えば、「医療の」とか「病院で」という言葉は必要だったのかな、と反省しています。「カウンセリング」で十分通じると思ったのですが。その後の文章でも。
 このことで、カレーせんべいさんに不快な思いをさせてしまったのなら、申しわけなかったと思います。それと、岸端さんにも。
 ただし、あの意見はまっとうなものだと思います。
 クジラックスさんという人の作品を調べてみたのですが、何が描かれているのか、およその想像はつきました。こういう話、大っ嫌いです!
 そのことのコメントは、また改めてしたいです。

 松本さんのことも申しますが、やはり茜丸のことを思い浮かべます。彼も、盗癖のある不良少女を救おうとするのですが、吉備眞備、さらには橘諸兄と結びついてしまい、仏師としての自分の腕を慢心し、驕り高ぶるようになります。そして、我王にあのような形で復讐をしてしまいました。
 権力とはどうしてかくも人をおかしくしてしまうのだろう、と。

 長くなりましたので、ここでやめます。

No.158 90ヶ月前

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