四君子 のコメント

 「朝生」の感想を、やはり記します。

 百田尚樹の阿呆さ加減は、冒頭の「玉音放送を見ていない」で、小林先生から責められていたところでも現れていましたが、「安倍総理は誰も手をつけられなかった憲法改正の第一歩を踏み出そうとしている」と発言したのを聞いて、「新ゴー宣」で、小泉元首相が、拉致家族問題交渉で、「誰もが越えられるハードルを飛び越えて、自慢しているだけ」と描かれてあった章のことを思い出しました。憲法改正は、「とりあえずやってみたから、それで良い」なんていういい加減なものであって、良いのでしょうか?
(とはいえ、私も、彼の著書を少したちよみして、ましなことが書かれている、みたいなコメントしたこともあります。反省します)、

 吉木という人の発言も、相変わらず「天皇陛下は居て下さるだけでよい」ということでしたが、この人たちは、日本の天皇を愛玩動物か何かと勘違いなされているのではないでしょうか。井上さんが、「右の人も左の人も同じだ」とおっしゃられていたのにも、かつて故渡部昇一氏が著書の中で、「極端な右翼と極端な左翼は同じだ」(たしか日本史から見た日本人の第二次大戦中の記述だったと思う)という箇所を思い出し、日本の右の人たちは、自分たちの先輩の発言を思い返してほしい、と感じました。
 あと、佐高さんが、公明党のことを「こんにゃく党」と皮肉られていたのも、笑えました。

 あんまり長く記すと、また迷惑になりそうなので、まとめますが、小林先生が、「規制緩和は危ない」とおっしゃられていたことと、あと、三浦瑠麗さんが、「朝生で話がまとまったことがない、みんな自分の発言ばかりして、人の意見を受け入れて、変わったというような感触が感じられない。だから、こんな不毛な話にしかならない」と発言されていたことが印象に残ったことでしょうか。
 ただ、三浦さんにコメントしたいのですが、論争って、そういうものでしょう?
 小林先生がなき堀辺師範と「武士ズム」で対談されていたように、昔の対談は命がけで刀を持って、相手を切る、切られるくらいの覚悟がないとできない、とおっしゃられていたようなものではないのでしょうか(私の記憶違いだったら、すみません。自分も、そういう覚悟にかけていたところはあったと思います)。
 だから、NHKの対談がつまらなくなるのだと思います。

 共謀罪の話といい、ひとごとではなく、私たちの今後のことがかかっているので、真剣にならざるを得ず、「自分は関係ないから良い」とか、「自分は悪いことをしないから大丈夫」とか言う餘裕のある人たちは、餘程鈍感か、「人のことはどうでも良い、我が身さえ良ければ」みたいなエゴイストなのではないか、と思います。
 誰しも、そんなに聖人君子ではなく、たたけばほこりの一つくらい出てくる可能性はあるのだから。あるいは、そういうものを捏造されることも。

 とりあえず、こんなところです。取り急ぎまとめました。

No.92 90ヶ月前

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