少しおふざけが過ぎました。許してちょんまげ。 「ゲリラ豪雨」でも、先の話は成立します。 コンピュータによる管理、という点では、竹宮惠子先生の「地球へ」には、「火の鳥」未来編の影響が、かなり色濃く見られるようです。 しかも、こうした世界は広大無辺のようでいて、実は狭い世間であり(自分の関心のあることしか、見ようとしないから)、その意味でも監視されやすいのだといえるでしょう。 だから、先日のみのさんの番組みたいなアンケート結果になると思うのです。 高森先生のの記事についても触れますが、確かにその通りです。先の投稿で触れるのを忘れていました(それだけバカバカしい番組だったんです)。「倭王武の安東大将軍」の話は、高校生でもならう話です。 歴史の授業はつまらなくて、寝てた、という人もいるのかも知れないけれども。 「火の鳥」黎明編をよんでもわかることでしょう(「火の鳥」はあまり歴史の暗記には役だちませんが)。 ただ、竹田信玄ぢゃなくて、恒泰のことばを敢えておぎなってやると、「固有の文字文化を持っていない」ということになるのでしょうか。 しかし、文字の有無と文明・文化の成熟度は、一見関連性があるようでいて、実は無関係です。 一番わかりやすい例をいえば、インカ帝国の文明で、文字はなく、結縄(キープ)しかなかったわけだけれども、その高度な政治体制・建築技術と、青銅器の使用・金銀装飾文化はよく知られているものであり、 ただ、馬がなかったために、コンキスタドレスたちによって征服されたわけで、今でもそこで話されていたケチュア語は南米各地の公用語とされているわけです。 それと、私たちは、文字と言語をごっちゃにしがちです。 欧米ではなされている言語は、英語のほかにも、フランス語、ドイツ語、オランダ語、イタリア語、スペイン語(カスティリャ語)、カタルーニャ語、イタリア語など多種多彩ですが、みなローマ帝国の言語であるラテン語のアルファベットを多少改変して使用しているわけで、 ギリシャ語では、ギリシャのアルファベット(αとかβとか)があり、 スラブ民族にはキリル文字を使用したセルビア語やロシヤ語などがあり、 同じスラブ民族でも、クロアチア語はラテン系のアルファベットが使用され、 フランス語系のローマ字を使用しているといえば、かつては漢字文化だったヴェトナムもあるわけです。 モンゴル語は(旧ソ連の影響で)キリル文字で表記されていて、同じモンゴルでも内モンゴル自治区では、モンゴル文字が使われている、といった事情もあります。 日本語も、かなのない時代は、萬葉がなが使われていて、そこから、かつての日本語の母音(あいうえお)は8音あった、という事実もわかるわけです(万葉集には解読されてないところもあったり、漢文が収録されていたり、古事記の場合も、万葉がなを交えた漢文が用いられています)。同様のことは、ハングルのない時代の朝鮮語にもあるわけです。 中国語も北京「方言」に基づく普通語だけではなく、上海語、広東語、客家語などがあり、それぞれに平仄(イントネーション)や文法がことなっていて、ただ同じ漢字で記されているために、その相違性が見えにくいようです。 偉そうなことばかりのべましたが、私も、欧州各国の言語にそんなに精通しているわけではなく、また北京語と広東語の違いがわかるわけではありません。 すなわち、独自の文字を持つ、ということは、その使用集団の「独自性」を示すことになる場合は多いけれども、絶対的なものではなく、外部からの文字を自集団の文化にとけこませて、文化の自主性をつくりあげるケースも多いわけです。 文字を作る労力も、かなりのものだと思います。 ただ、文字を使用することで、後世に記録を残すことが可能になるわけです。口述伝承やインカのような表現形式もあるけれども、文字がより多くの情報を伝えられるといった特色を有しているのは、間違いないでしょう。 いづれにしても、特例法の話は、やはりまやかしで、姑息だと思います。 称号の問題からして、間違っています(「上皇后」って、何なのでしょうか)。 ただ、ここで変な主張をすると、安倍の君様は、何をなされるかわからなくなりそうです。 権力を握ると、人間はおかしくなる、というのは、文字の違いと古今東西の歴史を越えた、普遍の真実のようです。 (こうしたことを言いつづける努力は、しないと駄目ですが)。 また長文になりました。ごめんなさい。
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少しおふざけが過ぎました。許してちょんまげ。
「ゲリラ豪雨」でも、先の話は成立します。
コンピュータによる管理、という点では、竹宮惠子先生の「地球へ」には、「火の鳥」未来編の影響が、かなり色濃く見られるようです。
しかも、こうした世界は広大無辺のようでいて、実は狭い世間であり(自分の関心のあることしか、見ようとしないから)、その意味でも監視されやすいのだといえるでしょう。
だから、先日のみのさんの番組みたいなアンケート結果になると思うのです。
高森先生のの記事についても触れますが、確かにその通りです。先の投稿で触れるのを忘れていました(それだけバカバカしい番組だったんです)。「倭王武の安東大将軍」の話は、高校生でもならう話です。
歴史の授業はつまらなくて、寝てた、という人もいるのかも知れないけれども。
「火の鳥」黎明編をよんでもわかることでしょう(「火の鳥」はあまり歴史の暗記には役だちませんが)。
ただ、竹田信玄ぢゃなくて、恒泰のことばを敢えておぎなってやると、「固有の文字文化を持っていない」ということになるのでしょうか。
しかし、文字の有無と文明・文化の成熟度は、一見関連性があるようでいて、実は無関係です。
一番わかりやすい例をいえば、インカ帝国の文明で、文字はなく、結縄(キープ)しかなかったわけだけれども、その高度な政治体制・建築技術と、青銅器の使用・金銀装飾文化はよく知られているものであり、
ただ、馬がなかったために、コンキスタドレスたちによって征服されたわけで、今でもそこで話されていたケチュア語は南米各地の公用語とされているわけです。
それと、私たちは、文字と言語をごっちゃにしがちです。
欧米ではなされている言語は、英語のほかにも、フランス語、ドイツ語、オランダ語、イタリア語、スペイン語(カスティリャ語)、カタルーニャ語、イタリア語など多種多彩ですが、みなローマ帝国の言語であるラテン語のアルファベットを多少改変して使用しているわけで、
ギリシャ語では、ギリシャのアルファベット(αとかβとか)があり、
スラブ民族にはキリル文字を使用したセルビア語やロシヤ語などがあり、
同じスラブ民族でも、クロアチア語はラテン系のアルファベットが使用され、
フランス語系のローマ字を使用しているといえば、かつては漢字文化だったヴェトナムもあるわけです。
モンゴル語は(旧ソ連の影響で)キリル文字で表記されていて、同じモンゴルでも内モンゴル自治区では、モンゴル文字が使われている、といった事情もあります。
日本語も、かなのない時代は、萬葉がなが使われていて、そこから、かつての日本語の母音(あいうえお)は8音あった、という事実もわかるわけです(万葉集には解読されてないところもあったり、漢文が収録されていたり、古事記の場合も、万葉がなを交えた漢文が用いられています)。同様のことは、ハングルのない時代の朝鮮語にもあるわけです。
中国語も北京「方言」に基づく普通語だけではなく、上海語、広東語、客家語などがあり、それぞれに平仄(イントネーション)や文法がことなっていて、ただ同じ漢字で記されているために、その相違性が見えにくいようです。
偉そうなことばかりのべましたが、私も、欧州各国の言語にそんなに精通しているわけではなく、また北京語と広東語の違いがわかるわけではありません。
すなわち、独自の文字を持つ、ということは、その使用集団の「独自性」を示すことになる場合は多いけれども、絶対的なものではなく、外部からの文字を自集団の文化にとけこませて、文化の自主性をつくりあげるケースも多いわけです。
文字を作る労力も、かなりのものだと思います。
ただ、文字を使用することで、後世に記録を残すことが可能になるわけです。口述伝承やインカのような表現形式もあるけれども、文字がより多くの情報を伝えられるといった特色を有しているのは、間違いないでしょう。
いづれにしても、特例法の話は、やはりまやかしで、姑息だと思います。
称号の問題からして、間違っています(「上皇后」って、何なのでしょうか)。
ただ、ここで変な主張をすると、安倍の君様は、何をなされるかわからなくなりそうです。
権力を握ると、人間はおかしくなる、というのは、文字の違いと古今東西の歴史を越えた、普遍の真実のようです。
(こうしたことを言いつづける努力は、しないと駄目ですが)。
また長文になりました。ごめんなさい。