先日の生放送の感想です。 政治家やネット右翼は援助交際の女子高生と同じで、好きで自分のからだをうっているというところが、最高でした。忖度という言葉は既に流行語になってしまいましたが、日本人は多数派の空気に流され、自分でものを考え、独立独歩という気概を失ってしまったのでしょうか。私はどちらかというといじめられっ子の方でしたので、一人で何かをすることの方を好むのですが、ネット上に蝟集(いしゅう)するかたがたは、自分の行動や思っていることが正しいと、誰かに確認してもらわないと(豊洲市場のように)安心できないわけなのかもしれないです。 学生運動に参加していた若者が、自分の過去の経歴をなかったものにして、社会人になる矛盾は、「脱正義論」でも述べられていた学生たちが、組織人になり、個人を埋没させて、自分の意見を言わなくなる変貌ぶりと共通しているような気がいたします。それまでの自分は、いったい何だったのでしょうか。結局のところ、人間の歴史は権力闘争で、誰か上のものが居たら、何とかして引きずり下ろし、かわりに自分がそこに坐ることを望む。そして、その座を何としても渡すまいと執着するあさましさへとつながっていくのだろうと思います。 歌手のメッセージソングは、確かに今きくとたわいもないものばかりです。しかし、それをきいていた当時はかなりはまっていたことも告白します。私も谷村有美とか、沢田聖子(さわだ しょうこ)とか、渡辺美里とか、永井真理子とか、よく聞いていました。外国の歌にもそういうのは少なからずあります(ダイアナ・ロスの「Reach and Touch」とか。ソロデビュー曲です)。ただ、こういう歌は一人落ち込んだ時に、なんとなく励ましになれば良いのであって、果たしてそこから普遍性だけをよみとるものなのでしょうか。歌手の側も、自分の側からの応援メッセージであって、ライブに来た人などで盛り上がれば良い、という程度のものだといえるでしょう。「Imagine」も、ジョン・レノンの思想なのだろうと思うし、それはそれで非常に至高なものだとも思うけれども、その位に聞いておいた方が良い歌でしょう。「意見の押しつけ」ほど危険なものはない、と思います。 自分は自分であって、他人にはなれないのです。その立場を理解し、同情することはできるのですが。そして、今この場に存在する自分だけが自己なのであって、どこか異次元の世界や精神の深層などにしまわれていて、いざという時に発現するものではない、と思います。「誰かをあてにしても求めるものじゃないのだから 本当の自分はここにいるって目を閉じないでいて」(Fate/stay night主題歌 This illusion〔Disillusion〕)。これも、メッセージといってしまえばそれまでですが。 それと、知識人が本を書き、TVに出たがる心理や事情もよくわかりました。見た目や顔だけではなく、内容で人の心をつかむものを記せないと駄目だと思いました。昔よんだショート・ショートに、作者が本のうりあげをのばすために、わざと書店の自署を棚の奥におとす、という話があったのを思い出しました。 肝腎なことを忘れていました。前川という事務次官は立派だと思います。調査のための風俗店通いを、人格攻撃につなげる安倍政権は、卑劣です。愚か者ほど、こういう狡猾な手段にたけているのかもしれません。そして、こういう政府によって、国民の私事を監視する共謀罪が、オリンピックによるテロの頻発を名目に、かかしの如き傀儡大臣を先頭にたてて質疑応答させるという時間稼ぎによって、無理矢理押し通されようとしている現状は、憂慮すべきことで、まさに累卵(るいらん)の危機といえると思います。 ケナタッチさんや、元CIAのスノーデン氏らの危懼は正しいです。そんなに五輪のことが心配なら、いっそこちらの方こそ「特例法」にして、期限立法にでもすればよろしいかと思いました(それでも、私は厭ですけれども)。 何とかして、6月の道場が成功し、みんなの気持ちが一つになって、安倍政権の暴挙・愚行を粉砕してほしいです。応募もしなかった自分が言うのも何なのですが、そのように願います。 ところで、よしりん先生パソコンは復旧したのでしょうか。私も、つい先だってパソコンの調子が悪く、この投稿にも苦慮していました。インターネットというと、非常に便利なように感じられるのですが、ウィルスの脅威は常にそなえておかないといけないです。ソフトを入れ直す際のパスワードとかも面倒くさいです。世界中のあちこちにはエゴだけではなく、パスワードと機密があふれかえっています。それでいて、肝腎な情報が完全に守れるわけではないのです。 国が監視するというのは、一見安全に見えて、実は公権力に情報漏洩しているのと同じなのです。個人情報の守秘といいつつ、繁文縟礼(はんぶんじょくれい)化と同時進行の穴あきのざるのようなセキュリティといった、この矛盾したシステムはいったい何なのでしょうか。
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先日の生放送の感想です。
政治家やネット右翼は援助交際の女子高生と同じで、好きで自分のからだをうっているというところが、最高でした。忖度という言葉は既に流行語になってしまいましたが、日本人は多数派の空気に流され、自分でものを考え、独立独歩という気概を失ってしまったのでしょうか。私はどちらかというといじめられっ子の方でしたので、一人で何かをすることの方を好むのですが、ネット上に蝟集(いしゅう)するかたがたは、自分の行動や思っていることが正しいと、誰かに確認してもらわないと(豊洲市場のように)安心できないわけなのかもしれないです。
学生運動に参加していた若者が、自分の過去の経歴をなかったものにして、社会人になる矛盾は、「脱正義論」でも述べられていた学生たちが、組織人になり、個人を埋没させて、自分の意見を言わなくなる変貌ぶりと共通しているような気がいたします。それまでの自分は、いったい何だったのでしょうか。結局のところ、人間の歴史は権力闘争で、誰か上のものが居たら、何とかして引きずり下ろし、かわりに自分がそこに坐ることを望む。そして、その座を何としても渡すまいと執着するあさましさへとつながっていくのだろうと思います。
歌手のメッセージソングは、確かに今きくとたわいもないものばかりです。しかし、それをきいていた当時はかなりはまっていたことも告白します。私も谷村有美とか、沢田聖子(さわだ しょうこ)とか、渡辺美里とか、永井真理子とか、よく聞いていました。外国の歌にもそういうのは少なからずあります(ダイアナ・ロスの「Reach and Touch」とか。ソロデビュー曲です)。ただ、こういう歌は一人落ち込んだ時に、なんとなく励ましになれば良いのであって、果たしてそこから普遍性だけをよみとるものなのでしょうか。歌手の側も、自分の側からの応援メッセージであって、ライブに来た人などで盛り上がれば良い、という程度のものだといえるでしょう。「Imagine」も、ジョン・レノンの思想なのだろうと思うし、それはそれで非常に至高なものだとも思うけれども、その位に聞いておいた方が良い歌でしょう。「意見の押しつけ」ほど危険なものはない、と思います。
自分は自分であって、他人にはなれないのです。その立場を理解し、同情することはできるのですが。そして、今この場に存在する自分だけが自己なのであって、どこか異次元の世界や精神の深層などにしまわれていて、いざという時に発現するものではない、と思います。「誰かをあてにしても求めるものじゃないのだから 本当の自分はここにいるって目を閉じないでいて」(Fate/stay night主題歌 This illusion〔Disillusion〕)。これも、メッセージといってしまえばそれまでですが。
それと、知識人が本を書き、TVに出たがる心理や事情もよくわかりました。見た目や顔だけではなく、内容で人の心をつかむものを記せないと駄目だと思いました。昔よんだショート・ショートに、作者が本のうりあげをのばすために、わざと書店の自署を棚の奥におとす、という話があったのを思い出しました。
肝腎なことを忘れていました。前川という事務次官は立派だと思います。調査のための風俗店通いを、人格攻撃につなげる安倍政権は、卑劣です。愚か者ほど、こういう狡猾な手段にたけているのかもしれません。そして、こういう政府によって、国民の私事を監視する共謀罪が、オリンピックによるテロの頻発を名目に、かかしの如き傀儡大臣を先頭にたてて質疑応答させるという時間稼ぎによって、無理矢理押し通されようとしている現状は、憂慮すべきことで、まさに累卵(るいらん)の危機といえると思います。
ケナタッチさんや、元CIAのスノーデン氏らの危懼は正しいです。そんなに五輪のことが心配なら、いっそこちらの方こそ「特例法」にして、期限立法にでもすればよろしいかと思いました(それでも、私は厭ですけれども)。
何とかして、6月の道場が成功し、みんなの気持ちが一つになって、安倍政権の暴挙・愚行を粉砕してほしいです。応募もしなかった自分が言うのも何なのですが、そのように願います。
ところで、よしりん先生パソコンは復旧したのでしょうか。私も、つい先だってパソコンの調子が悪く、この投稿にも苦慮していました。インターネットというと、非常に便利なように感じられるのですが、ウィルスの脅威は常にそなえておかないといけないです。ソフトを入れ直す際のパスワードとかも面倒くさいです。世界中のあちこちにはエゴだけではなく、パスワードと機密があふれかえっています。それでいて、肝腎な情報が完全に守れるわけではないのです。
国が監視するというのは、一見安全に見えて、実は公権力に情報漏洩しているのと同じなのです。個人情報の守秘といいつつ、繁文縟礼(はんぶんじょくれい)化と同時進行の穴あきのざるのようなセキュリティといった、この矛盾したシステムはいったい何なのでしょうか。