もう少し感じたことがあるので、お邪魔いたします。たびたびすみません。 「十二国記」という連作小説の話をします。 「知らなかった」ではすまされない、という例としてです。 安倍昭恵も、水とか大麻とかスピリチュアルがどうのこうの言う前に、こういうファンタジーをよんでみれば良いのに(そんな国語力もないのかな)。 芳(ほう)という国に祥瓊(しょうけい)というお姫様がいました。 彼女は両親の愛を一身に受け、幸せに暮らしていました。 この世界では、国王一家は不老不死の力を有しており、彼女はいつまでも少女のままで、美しいままでした。 ある日、革命が起こりました。 それは祥瓊の父王の悪政が原因でした。といっても、彼は決して悪人ではなく、厳正な法律をもって、世の中を正しく治めるようとして、苛政をおこなってしまったのです。 もっとも、祥瓊の母親は賄賂をとって、身内贔屓はしていましたが。 両親を殺され、不老不死の効力を失った彼女は下女の身分に落とされ、今までとはうってかわった貧しい、虐げられる生活をするようになりました。 彼女はそこで、人民が父王の圧政を、どれだけ憎んでいたかを知ることになります。 彼女は叫びます、「私は何も知らなかったんだ」、と。 しかし、誰もそれに耳を傾けようともしませんでした。 というのが、小野不由美さんの「風の万里黎明の空」の出だしの一部なのですが、 NHKのアニメーションで見て、ご存じのかたもいらっしゃるのではないでしょうか。 なぜこの話をあげているのかというと、 安倍昭恵の場合と非常によくにているような気がするからです。 この場合の祥瓊は、後に自分のしてきたことを非常に悔い、 もう一人の(メインの)主人公の陽子に協力して、慶(けい)という国の役人たちの腐敗を暴くのですが。 ひとのことは言えない、と思います。 私も、薬害エイズ事件当事、この問題に無関心でした。 それで、よく歴史に興味がある、と言えたものだと思いました。 自分も一匹の蟻程度のものかもしれない、という意識は忘れてはならない、と思います。 川田龍平を、先生の前で土下座させて、あやまらせられたら、とよく思います。 彼だって、純粋な被害者だったのだろうけれども、 廻りからちやほやされ、肥大化した自意識により、自己の実体を見失ってしまったのでしょう。 人の夢や考えは移ろいやすいものだ、と言われてしまえば、それまでですが。 それでも、自分たちのために奮闘し、尽力してくれたかたへの敬意と恩は感じていなければいけないでしょう。 とりあえずは、「十二国記」を安倍夫妻によませるようなかたがいらっしゃったら、と願います。 (日本の首相も、騏驎が選べばどれだけ良いかと思うのですが)。
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もう少し感じたことがあるので、お邪魔いたします。たびたびすみません。
「十二国記」という連作小説の話をします。
「知らなかった」ではすまされない、という例としてです。
安倍昭恵も、水とか大麻とかスピリチュアルがどうのこうの言う前に、こういうファンタジーをよんでみれば良いのに(そんな国語力もないのかな)。
芳(ほう)という国に祥瓊(しょうけい)というお姫様がいました。
彼女は両親の愛を一身に受け、幸せに暮らしていました。
この世界では、国王一家は不老不死の力を有しており、彼女はいつまでも少女のままで、美しいままでした。
ある日、革命が起こりました。
それは祥瓊の父王の悪政が原因でした。といっても、彼は決して悪人ではなく、厳正な法律をもって、世の中を正しく治めるようとして、苛政をおこなってしまったのです。
もっとも、祥瓊の母親は賄賂をとって、身内贔屓はしていましたが。
両親を殺され、不老不死の効力を失った彼女は下女の身分に落とされ、今までとはうってかわった貧しい、虐げられる生活をするようになりました。
彼女はそこで、人民が父王の圧政を、どれだけ憎んでいたかを知ることになります。
彼女は叫びます、「私は何も知らなかったんだ」、と。
しかし、誰もそれに耳を傾けようともしませんでした。
というのが、小野不由美さんの「風の万里黎明の空」の出だしの一部なのですが、
NHKのアニメーションで見て、ご存じのかたもいらっしゃるのではないでしょうか。
なぜこの話をあげているのかというと、
安倍昭恵の場合と非常によくにているような気がするからです。
この場合の祥瓊は、後に自分のしてきたことを非常に悔い、
もう一人の(メインの)主人公の陽子に協力して、慶(けい)という国の役人たちの腐敗を暴くのですが。
ひとのことは言えない、と思います。
私も、薬害エイズ事件当事、この問題に無関心でした。
それで、よく歴史に興味がある、と言えたものだと思いました。
自分も一匹の蟻程度のものかもしれない、という意識は忘れてはならない、と思います。
川田龍平を、先生の前で土下座させて、あやまらせられたら、とよく思います。
彼だって、純粋な被害者だったのだろうけれども、
廻りからちやほやされ、肥大化した自意識により、自己の実体を見失ってしまったのでしょう。
人の夢や考えは移ろいやすいものだ、と言われてしまえば、それまでですが。
それでも、自分たちのために奮闘し、尽力してくれたかたへの敬意と恩は感じていなければいけないでしょう。
とりあえずは、「十二国記」を安倍夫妻によませるようなかたがいらっしゃったら、と願います。
(日本の首相も、騏驎が選べばどれだけ良いかと思うのですが)。