連投します。 あと、同じ東京新聞の4月11日の同欄の記事で、「精神障害者の6割 病院に閉じ込め」というのがありますが、「重度かつ慢性」という基準がよくわかりません。以前にもしるしたように、ペドフィリア(幼女趣味)を公言するような場合は、地域社会における迷惑を鑑みてやむを得ないと思いますが(それでも、別のところでも記したように、場合によってはカウンセリングや身内による監視ですむケースもあるとは、思います。「要注意」、というのはあたり前ですよ)、その記事にものっているように、「ストレスの脆弱性」とか、「介護等への拒否」というのは、誰でもおちいりやすいものではないでしょうか。厚生労働省がおしすすめている「病棟転換型居住系施設」という、病院内にグループホームをつくる、というのもどうかと思います。 精神障碍というのは一見普通に見えて、実は特殊という目に見えない、厄介者のように思われがちですが、地域社会と会社側の理解があれば、何とか克服できるものだと思うのです。 ちなみに、カウンセリングですることは、ただ相手の話を聞くことで、それによってその人が自分で答えをみちびくための手助けをすることだそうです。かつて「サイコドクター」なんて漫画がありましたが、あんな凄いことは間違っても行なわれません。常識で考えても、わかることですよね。 だから、患者である側も、「自分はひょっとしたら、平常なのであって、ただ社会とか家族とか友人とかに甘えているのではないか」という気にもなったりするみたいです。もっと自分がしっかりして、考えて、正しい判断を常にできるようにしないと、とか感じるそうです。みんな、他人の迷惑にならぬよう、いろいろ考えて行動しているのだから。 投薬によって、多少気分も楽にはなるようですが、対処療法なのかもしれません。 話を小林先生のゴーマニズム宣言の方にもどしますが、精神医学というのは、実はかなり曖昧な学問です。「感情」とか「心」というのはどこから生まれ、どこへすすんでゆくのか、となると、哲学的な話になります。それでも、私たちはそういう厄介で、にもかかわらず重要なものを持ち合わせて、この世に生まれてきたのだから、どんな場合でも、それと向き合うべきだと言えるのではないでしょうか。 ところで、小林先生の、5月27日の記事、「朝ナマ」の感想で、佐高信さんのことがのべられてありましたが、けさ(28日)の「サンデーモーニング」でも、安倍昭恵のことを、「秘書が5人もいるのに、『私人』と自分のことをよんでいる」とおっしゃられていましたね。国連のかたの共謀罪への危懼の念、もっともな勧告です。 あと、忘れていたのですが、月刊フラワーズ、きのう発売されていました。「ポーの一族」(春の夢)、最終回でした。また来年の春、新作が発表されるそうですが、とりあえず、告知はこれでおしまいです。
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連投します。
あと、同じ東京新聞の4月11日の同欄の記事で、「精神障害者の6割 病院に閉じ込め」というのがありますが、「重度かつ慢性」という基準がよくわかりません。以前にもしるしたように、ペドフィリア(幼女趣味)を公言するような場合は、地域社会における迷惑を鑑みてやむを得ないと思いますが(それでも、別のところでも記したように、場合によってはカウンセリングや身内による監視ですむケースもあるとは、思います。「要注意」、というのはあたり前ですよ)、その記事にものっているように、「ストレスの脆弱性」とか、「介護等への拒否」というのは、誰でもおちいりやすいものではないでしょうか。厚生労働省がおしすすめている「病棟転換型居住系施設」という、病院内にグループホームをつくる、というのもどうかと思います。
精神障碍というのは一見普通に見えて、実は特殊という目に見えない、厄介者のように思われがちですが、地域社会と会社側の理解があれば、何とか克服できるものだと思うのです。
ちなみに、カウンセリングですることは、ただ相手の話を聞くことで、それによってその人が自分で答えをみちびくための手助けをすることだそうです。かつて「サイコドクター」なんて漫画がありましたが、あんな凄いことは間違っても行なわれません。常識で考えても、わかることですよね。
だから、患者である側も、「自分はひょっとしたら、平常なのであって、ただ社会とか家族とか友人とかに甘えているのではないか」という気にもなったりするみたいです。もっと自分がしっかりして、考えて、正しい判断を常にできるようにしないと、とか感じるそうです。みんな、他人の迷惑にならぬよう、いろいろ考えて行動しているのだから。
投薬によって、多少気分も楽にはなるようですが、対処療法なのかもしれません。
話を小林先生のゴーマニズム宣言の方にもどしますが、精神医学というのは、実はかなり曖昧な学問です。「感情」とか「心」というのはどこから生まれ、どこへすすんでゆくのか、となると、哲学的な話になります。それでも、私たちはそういう厄介で、にもかかわらず重要なものを持ち合わせて、この世に生まれてきたのだから、どんな場合でも、それと向き合うべきだと言えるのではないでしょうか。
ところで、小林先生の、5月27日の記事、「朝ナマ」の感想で、佐高信さんのことがのべられてありましたが、けさ(28日)の「サンデーモーニング」でも、安倍昭恵のことを、「秘書が5人もいるのに、『私人』と自分のことをよんでいる」とおっしゃられていましたね。国連のかたの共謀罪への危懼の念、もっともな勧告です。
あと、忘れていたのですが、月刊フラワーズ、きのう発売されていました。「ポーの一族」(春の夢)、最終回でした。また来年の春、新作が発表されるそうですが、とりあえず、告知はこれでおしまいです。