>>120 クリリンがやってきたさん、ありがとうございます。片山氏ですが、このようにちゃんと表記してるように視聴して男系固執論者とはちょっと違うなという印象を受けました。仕草と感情をリンクさせて暗記している私の見違えかもしれませんが、叛逆を掲げた揶戯と比べ、男系論展開で地に足がついていない、迷いがあるような感じがしました。 さて、そんな片山氏ですが、ちょっと調べたところ、確かに皇室に関して幾らか関わってはいるようですが、本業は音楽評論家のようです(シン・ゴジラの音楽に対する評論も行っています)。 彼は陛下のおことばに対し、こんな感想を書かれています。 http://lite.blogos.com/article/199450/?axis=&p=1 読む限り、陛下の意図はしっかり汲まれているようです。しかし、彼の天皇像は明治以降わずか4代で止まっています。 彼は番組前半の様子を見ても彼なりの尊皇心は確かにあるようですが、このおことばを聞いて「戦後レジーム」の完成になるのでは?と危惧しています。なんで?と読み進めていくと、欧米の「人権」はゴッドから与えられたものだから民主主義が成立しており、日本ではそのゴッドにあたるのが皇室しかないとのこと。つまり皇室に「神秘」を求めているわけで、今まで以上に世俗に入り込むとそれが失われ、民主主義が益々機能しなくなるのでは、とのこと。 つまるところ昭和天皇の「人間宣言」から始まった「目に見える世俗主義」が今上陛下の「第二の人間宣言」を経て進むことにより「目に見えない神秘主義」が衰退し、敬意を得られなくなるのでは?ということで、なんか男系固執論者が言ってそうなことを書いています。 やはりというか、片山氏は天皇も、人間宣言も全く知らないで呼ばれたようですね。 そこに天皇論を書く前のよしりん先生が持っていた「男系の方がいいだろう」という考えと男系固執論者の入れ知恵が加わり、後半のあの流れになったのだと思います。 しかし、ブログでも書いてある通り、皇室の「神秘(聖徳概念と言ってもいいかも)」が日本の民主主義に必要とも思っており、天皇なき民主主義は更に日本を劣化させると思っているのも事実です。 ここが男系固執論者との大きな差異だと思います。リアルタイムで見て叛逆万歳の揶戯とも、匙を投げたような御厨氏とも印象が違うと私が思った理由がそこにあるかもしれません。 彼は明治以降の皇室しか知らないから男系で皇統を繋いだ方がよいと思っています。しかし、側室のない今それができないことも改めて分かったのでしょう、堂々と論を展開する川西氏とは対照的に凄まじい葛藤に苛まれたように見えます。 彼とて皇統は守りたいのでしょう。されど、無知故に男系固執論者の入れ知恵を基とした考えを改めることができず、苦しんでいるのだと思います。葛藤に苛まれた状態でやぶれかぶれな発言が出てきた可能性も考えられます。 彼は番組の最後、「象徴天皇とは」という問いに「国民の希望のようなものであり、常に触れあうことが大事」(と昨日のメモに書いてある)と述べられました。 片山杜秀氏は尊皇心を持っていると思います。されど、無知なのに学者という身分から知ったかぶりになり、己が尊皇心と陛下の意図の乖離に苛まれているのが実情でしょう。男系固執論者が蔓延り、マスメディアもそれに同調した今、恐らく彼のような方もそれなりにいらっしゃるでしょう。 親鸞みたいな気も?しますが、天皇論平成29年という経典を差し上げて(親鸞は一々差し上げてなさそうですが)救うのも、大事なことだと思いました。 以上、片山氏はまだ救いの手が差しのべられる筈!という意見でした。
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>>120
クリリンがやってきたさん、ありがとうございます。片山氏ですが、このようにちゃんと表記してるように視聴して男系固執論者とはちょっと違うなという印象を受けました。仕草と感情をリンクさせて暗記している私の見違えかもしれませんが、叛逆を掲げた揶戯と比べ、男系論展開で地に足がついていない、迷いがあるような感じがしました。
さて、そんな片山氏ですが、ちょっと調べたところ、確かに皇室に関して幾らか関わってはいるようですが、本業は音楽評論家のようです(シン・ゴジラの音楽に対する評論も行っています)。
彼は陛下のおことばに対し、こんな感想を書かれています。
http://lite.blogos.com/article/199450/?axis=&p=1
読む限り、陛下の意図はしっかり汲まれているようです。しかし、彼の天皇像は明治以降わずか4代で止まっています。
彼は番組前半の様子を見ても彼なりの尊皇心は確かにあるようですが、このおことばを聞いて「戦後レジーム」の完成になるのでは?と危惧しています。なんで?と読み進めていくと、欧米の「人権」はゴッドから与えられたものだから民主主義が成立しており、日本ではそのゴッドにあたるのが皇室しかないとのこと。つまり皇室に「神秘」を求めているわけで、今まで以上に世俗に入り込むとそれが失われ、民主主義が益々機能しなくなるのでは、とのこと。
つまるところ昭和天皇の「人間宣言」から始まった「目に見える世俗主義」が今上陛下の「第二の人間宣言」を経て進むことにより「目に見えない神秘主義」が衰退し、敬意を得られなくなるのでは?ということで、なんか男系固執論者が言ってそうなことを書いています。
やはりというか、片山氏は天皇も、人間宣言も全く知らないで呼ばれたようですね。
そこに天皇論を書く前のよしりん先生が持っていた「男系の方がいいだろう」という考えと男系固執論者の入れ知恵が加わり、後半のあの流れになったのだと思います。
しかし、ブログでも書いてある通り、皇室の「神秘(聖徳概念と言ってもいいかも)」が日本の民主主義に必要とも思っており、天皇なき民主主義は更に日本を劣化させると思っているのも事実です。
ここが男系固執論者との大きな差異だと思います。リアルタイムで見て叛逆万歳の揶戯とも、匙を投げたような御厨氏とも印象が違うと私が思った理由がそこにあるかもしれません。
彼は明治以降の皇室しか知らないから男系で皇統を繋いだ方がよいと思っています。しかし、側室のない今それができないことも改めて分かったのでしょう、堂々と論を展開する川西氏とは対照的に凄まじい葛藤に苛まれたように見えます。
彼とて皇統は守りたいのでしょう。されど、無知故に男系固執論者の入れ知恵を基とした考えを改めることができず、苦しんでいるのだと思います。葛藤に苛まれた状態でやぶれかぶれな発言が出てきた可能性も考えられます。
彼は番組の最後、「象徴天皇とは」という問いに「国民の希望のようなものであり、常に触れあうことが大事」(と昨日のメモに書いてある)と述べられました。
片山杜秀氏は尊皇心を持っていると思います。されど、無知なのに学者という身分から知ったかぶりになり、己が尊皇心と陛下の意図の乖離に苛まれているのが実情でしょう。男系固執論者が蔓延り、マスメディアもそれに同調した今、恐らく彼のような方もそれなりにいらっしゃるでしょう。
親鸞みたいな気も?しますが、天皇論平成29年という経典を差し上げて(親鸞は一々差し上げてなさそうですが)救うのも、大事なことだと思いました。
以上、片山氏はまだ救いの手が差しのべられる筈!という意見でした。