四君子 のコメント

ゴーマニズム宣言 第218回「豊洲移転を保守はどのように考えるべきか?」

 この話題についても、いろいろのべてみたいのですが、昔は築地市場のような、雑多な、まとまりのないようで、完結している商店街がよくありました。
 確かマイカル(サティー)でも、出店みたいなものはあって、同業個人運営業者(八百屋とか花屋とか)に店内で競争出店させるようなことはしていました。そのマイカルも過去のものになりました。
 サザエさんとかで、肉屋へお使いを頼むなんて場面も、もう遠い昔の情景でしょうか。
 築地場外市場のことは、TV東京の「アド街ック天国」でもとりあげられてましたが、小林先生のおっしゃるような問題は、放映されておらず、目から鱗でした。

 少し前、ブランド偽造品事件がよく話題とされていましたが、それだけ原産地にこだわる人が多いということなのでしょう。
 私たちは、食を選ぶとき、栄養だけではなく、信用も購入しています。
 その信用は、一朝一夕に得られるものではなく、まさしく歴史の縦軸と、社会の横軸から生じる伝統なのでしょう。

 科学という言葉で私が聯想(れんそう)するのは、フロギストン説です。
 昔、某G社が出していた学習漫画でその存在を知ったのですが、ものがもえると、フロギストンと呼ばれるマイナス質量の物質を消費するという考えは、今聞いても、非常に斬新で納得のゆくものです。
 火がもえる際に酸素を必要とする、ということや、質量保存の法則を知らなければ。
 二次作品でとりあげられる陰陽道や風水(何だか、もくれんさんのウェブログとかぶってまゐりましたが)も、当時の人からすれば最新科学なのであり、國家の安全と治安を守る最低限度の良識だったわけです。
 シャーロック・ホームズものや「失われた世界」などで有名なコナン・ドイルは晩年、心霊学にはまり、そのことをおろかだと笑われてもいるのですが、彼からすれば、世の中には人間の未知なる領域が存在し、そのことも理解しないと、真に理性的だとは言えないと感じたのではないでしょうか。
 ジンクスも、それを信奉している個人からすれば、経験則による科学の一種であり、当人もそれは、スティーヴィー・ワンダーのヒットソングのようなもの(迷信)でしかないと気づいてはいても、「でも萬が一のこともあるしなあ」と、朝起きる時に立ち上がる足がどちら側だったとか、ドアノブをどの手であけたとかを気にするようになります。それが神の見えざる手の導きなのだと信じ込む心理を、笑うことはできないと思います。
 それほど、人間は萬能さを獲得したようでいて、実は自然の一部なのだという事実を内心では認めていて、さらにそれを乗り越えようと、科学技術という新しいよりどころにより一層はまってゆくかも知れません。「坂の上の雲」問題も、元を正せば、案外こんなところに要因があるのかも知れないです。
 これらのことからも、科学とは既知や未知の情報に基づく信仰であり、その情報に誤解や思い込みによる誤謬(ごびゅう)があれば、まちがった結論に達するのは、必然のことわりなのでしょう。

 いろいろのべましたが、やはり自分の意見は、「ブラック・ジャック」の癌治療器の話につきるのです。
 「間違っていたら、そのことを認めてあやまれば良い。そして、二度とそれをしなければ良い」、と。
 ただし、先にあげたように、人にはその人の科学や信仰があるので、それをするのはとてもむづかしいと思います。
 「どこの世界に、健康診断機つきで天気予報の分かる、遠隔操作のできる電話機があるのだろう」とか感じる位のショックでもない限り。
 こんな感じでよろしいでしょうか。

No.93 94ヶ月前

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