ゴーマニズム宣言 第217回「石原慎太郎は腹を斬るべし」 私は、東篠元首相の話を聞いて、「ブラック・ジャック」の「二度死んだ少年」という挿話を思い出します。 確か、親族殺人で警察に追われて逃亡して、ビルから墜落した少年を、別の医者が甦生させようとしたけれども、失敗し、ブラック・ジャックに極祕でお願いする、という話で、手術成功後、少年は裁判で死刑判決を受けるのだけれども、ブラック・ジャックは「その少年は一度死んだのだぞ、なぜ死刑にするなら生き返させるのか」と叫んで、退廷させられるという筋でした。 確かにこの場合の少年の犯罪は、罪として裁かれなければいけないのだけれども、一度魂を失った物体の命を故意に呼びもどして、法廷で死刑判決という名のリンチを加えるというのも、何かをかしい、変だという感じがしました。オウムみたいに、國家てんぷくをはかった組織とか、大久保清とかのようなシリアル・キラーとかだったら、まだ分かるのだけれども。先日の能登島の事件なども、犯行動機をうかがいたいものです。 それとも、東篠氏は首相として、日本國民を象徴して処刑されなければならなかったのでしょうか。近衛文麿は、自殺できて良かったのかも(あんまり良いことではないですが)。 この場合の石原氏の場合は、假にみづからあづかりしらぬところだとしても、かつての東京都政のトップであり、政治家の職分として、謝罪をする必要はあるのではないでしょうか。「破戒」の瀨川丑松のように。 (石原と比較するのは、失礼だと思いますが)識字障碍になったとしても、あやまることはできます。石原氏が車の免許を持っていたら、標識が判別できず、危険で運転を任せられないと思います。私たちは、そのような老耄に都政を委ねていたのでしょうか。それとも、「老驥(ろうき)櫪(れき)に伏すとも志(こころざし)千里(せんり)に在(あ)り」なのでしょうか。ならば文字を忘れたとか、記憶にないなどと逃げ口上をのべないでいただきたいものです。 かつては私も、小林先生などのように、石原都政に期待するものがあり、実際、かなりの実績をあげたとも見るのですが、「新銀行東京」の如き失政もあるし、「首都大学東京」のネーミングセンスは、文学者にあるまじきものだと思います(「大江戸線」は良いと思うけれども)。そして、これは石原政治全体のことではなく、築地移転・豊洲新市場にまつわるミスであって、その際に手抜かりがあったら、素直に誤るのが筋ではないのでしょうか。 またブラック・ジャックの話をあげますが、ある医者が癌撲滅裝置を開発したけれども、その機能に缺陥(けっかん)があったため、ブラック・ジャックに患者の手術依頼をするという話があります。その際にブラック・ジャックの提示した条件は、「機械が役立たずであることを公表せよ」、ということで、医師はやむなくそうしたという内容でした。石原氏にも、この話を熟讀してほしいと願います(当然のことながら、豊中市の森友学園にかかわった、とく職者たちについても)。 あと、私も、薩摩藩の木曾・長良(ながら)・揖斐(いび)三川の輪中の治水工事は快挙であると思います。平田靫負の話は、小学校の時の某社の教材でよみましたが、哀れでなりませんでした。町の名前に残されていた筈ですが、そこも合併されて、その近郊を走っていた名鉄の路線とともに、消滅してしまったようで、残念です。 ※ 少し誤字があったので、直しました。
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ゴーマニズム宣言 第217回「石原慎太郎は腹を斬るべし」
私は、東篠元首相の話を聞いて、「ブラック・ジャック」の「二度死んだ少年」という挿話を思い出します。
確か、親族殺人で警察に追われて逃亡して、ビルから墜落した少年を、別の医者が甦生させようとしたけれども、失敗し、ブラック・ジャックに極祕でお願いする、という話で、手術成功後、少年は裁判で死刑判決を受けるのだけれども、ブラック・ジャックは「その少年は一度死んだのだぞ、なぜ死刑にするなら生き返させるのか」と叫んで、退廷させられるという筋でした。
確かにこの場合の少年の犯罪は、罪として裁かれなければいけないのだけれども、一度魂を失った物体の命を故意に呼びもどして、法廷で死刑判決という名のリンチを加えるというのも、何かをかしい、変だという感じがしました。オウムみたいに、國家てんぷくをはかった組織とか、大久保清とかのようなシリアル・キラーとかだったら、まだ分かるのだけれども。先日の能登島の事件なども、犯行動機をうかがいたいものです。
それとも、東篠氏は首相として、日本國民を象徴して処刑されなければならなかったのでしょうか。近衛文麿は、自殺できて良かったのかも(あんまり良いことではないですが)。
この場合の石原氏の場合は、假にみづからあづかりしらぬところだとしても、かつての東京都政のトップであり、政治家の職分として、謝罪をする必要はあるのではないでしょうか。「破戒」の瀨川丑松のように。
(石原と比較するのは、失礼だと思いますが)識字障碍になったとしても、あやまることはできます。石原氏が車の免許を持っていたら、標識が判別できず、危険で運転を任せられないと思います。私たちは、そのような老耄に都政を委ねていたのでしょうか。それとも、「老驥(ろうき)櫪(れき)に伏すとも志(こころざし)千里(せんり)に在(あ)り」なのでしょうか。ならば文字を忘れたとか、記憶にないなどと逃げ口上をのべないでいただきたいものです。
かつては私も、小林先生などのように、石原都政に期待するものがあり、実際、かなりの実績をあげたとも見るのですが、「新銀行東京」の如き失政もあるし、「首都大学東京」のネーミングセンスは、文学者にあるまじきものだと思います(「大江戸線」は良いと思うけれども)。そして、これは石原政治全体のことではなく、築地移転・豊洲新市場にまつわるミスであって、その際に手抜かりがあったら、素直に誤るのが筋ではないのでしょうか。
またブラック・ジャックの話をあげますが、ある医者が癌撲滅裝置を開発したけれども、その機能に缺陥(けっかん)があったため、ブラック・ジャックに患者の手術依頼をするという話があります。その際にブラック・ジャックの提示した条件は、「機械が役立たずであることを公表せよ」、ということで、医師はやむなくそうしたという内容でした。石原氏にも、この話を熟讀してほしいと願います(当然のことながら、豊中市の森友学園にかかわった、とく職者たちについても)。
あと、私も、薩摩藩の木曾・長良(ながら)・揖斐(いび)三川の輪中の治水工事は快挙であると思います。平田靫負の話は、小学校の時の某社の教材でよみましたが、哀れでなりませんでした。町の名前に残されていた筈ですが、そこも合併されて、その近郊を走っていた名鉄の路線とともに、消滅してしまったようで、残念です。
※ 少し誤字があったので、直しました。