遅ればせながら、62回「道場」の感想です。 倉持先生の、最初の退位関連の経過の説明から、船田議員の活動方針まで、かなり楽しめました。 退位問題も何度も繰り返されてきており、殆ど意見が出尽くしている感が強いのですが、玉音放送を聞いた後、被災地訪問を評価され、雅子妃の怠慢さをあざけっていたかたが、高森先生と反対方向の反応をされて、天皇は宮中で祭祀をしていれば良いという意見になったというくだりを聞いて、高森先生たちとの差はどこから生じるのだろうかと、興味深く感じました。 結局はその人たちは、誰かを自分の思い通りに操作することにしか関心がなく、誰かを自分と異なっているところまで受容しようという姿勢がないのだろうと。長谷川三千子さんが、「天皇論平成29年」をよんで、この数年で、皇位継承の話題に変革がないことに恐ろしさを感じるという感想をいだかれたのとは、対照的です。 この話題では、「こどものおもちゃ」という漫画で、羽山君をうんでなくなったおかあさんのことが想記されます。母親が子供をうむという行為には命をかけた選択をしなければならないこともありうるのです。それでも、「あーちゃん、ママはね、あーちゃんを愛しているからがんばってうんだのよ だからママの分もがんばって生きてね」というのが、母親からのメッセーヂではないのでしょうか(このセリフは、私が不満を持つ、アニメでかえられてしまった、原作の後半でも出て来ます)。母の愛は時には厳しいとも申しますが、じつはそれも命を生み出す責任から生じるものではないのでしょうか。だから、思うのです。私たちは生まれて来た意味を、考えつづけなければならない、と。 男系派のかたがたは、こういうことを考えてこられたのでしょうか。 昭恵夫人の無責任さについての、小林先生のコメントは、おっしゃられる通りでしょう。皇太子殿下が適応反応で苦しむ雅子妃殿下をかばわれ、守られるのとはわけが違います。それは私的な愛情によるものであるのと同時に、國のありかたを考えるための公的な責務でもあります。それとも、安倍昭恵も精神疾患にかかられていて、情況を判断できない病に侵されているのでしょうか。 皇太子殿下が歴史の専門家であるという話は、初耳でした。皇室において、それがタブーである、ということも。ますます、次代の陛下としての期待が高まってまいります。 美智子皇后の歌についても。悲慘な情況におちいった人たちのことを、私たちは思いやることはできても、その人たちの心の中までは、完全におしはかり、しることまでは不可能なのでしょう。「ためらう」という心の動きや反応を持たないと、何をするにも独善的で、自己本位にしかならないのだと思います。
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遅ればせながら、62回「道場」の感想です。
倉持先生の、最初の退位関連の経過の説明から、船田議員の活動方針まで、かなり楽しめました。
退位問題も何度も繰り返されてきており、殆ど意見が出尽くしている感が強いのですが、玉音放送を聞いた後、被災地訪問を評価され、雅子妃の怠慢さをあざけっていたかたが、高森先生と反対方向の反応をされて、天皇は宮中で祭祀をしていれば良いという意見になったというくだりを聞いて、高森先生たちとの差はどこから生じるのだろうかと、興味深く感じました。
結局はその人たちは、誰かを自分の思い通りに操作することにしか関心がなく、誰かを自分と異なっているところまで受容しようという姿勢がないのだろうと。長谷川三千子さんが、「天皇論平成29年」をよんで、この数年で、皇位継承の話題に変革がないことに恐ろしさを感じるという感想をいだかれたのとは、対照的です。
この話題では、「こどものおもちゃ」という漫画で、羽山君をうんでなくなったおかあさんのことが想記されます。母親が子供をうむという行為には命をかけた選択をしなければならないこともありうるのです。それでも、「あーちゃん、ママはね、あーちゃんを愛しているからがんばってうんだのよ だからママの分もがんばって生きてね」というのが、母親からのメッセーヂではないのでしょうか(このセリフは、私が不満を持つ、アニメでかえられてしまった、原作の後半でも出て来ます)。母の愛は時には厳しいとも申しますが、じつはそれも命を生み出す責任から生じるものではないのでしょうか。だから、思うのです。私たちは生まれて来た意味を、考えつづけなければならない、と。
男系派のかたがたは、こういうことを考えてこられたのでしょうか。
昭恵夫人の無責任さについての、小林先生のコメントは、おっしゃられる通りでしょう。皇太子殿下が適応反応で苦しむ雅子妃殿下をかばわれ、守られるのとはわけが違います。それは私的な愛情によるものであるのと同時に、國のありかたを考えるための公的な責務でもあります。それとも、安倍昭恵も精神疾患にかかられていて、情況を判断できない病に侵されているのでしょうか。
皇太子殿下が歴史の専門家であるという話は、初耳でした。皇室において、それがタブーである、ということも。ますます、次代の陛下としての期待が高まってまいります。
美智子皇后の歌についても。悲慘な情況におちいった人たちのことを、私たちは思いやることはできても、その人たちの心の中までは、完全におしはかり、しることまでは不可能なのでしょう。「ためらう」という心の動きや反応を持たないと、何をするにも独善的で、自己本位にしかならないのだと思います。