少しどうでもよいことを記してみます(今回のライジングテーマとも関連がありそうなので)。少し分量がいる内容なので、ご容赦下さい。 愛知県に「知立(ちりゅう)市」というところがあります。 この町は古文書には「池鯉鮒(ちりふ)」と表記されており、東海道の宿驛としてはこの名称だったそうです。なんでも、ここにある池には明神の使いである鯉や鮒が多かったので、この漢字があてられたそうで、松尾芭蕉の元禄5年の句でも、この名前でよまれているらしいです(確認しようとしましたが、見つかりませんでした)。「半七捕物帳」第5話「お化け師匠」にも「池鯉鮒のお札賣り」・「知立神社」が登場します。 これは、知立神社を創設した伊知理生(いちりゅう)の命にちなんだ地名だと言われています(出典:日本地名百科辞典・小学館)。新人物往来社の「日本地名事典」では「蔓生(つるふ)」の転化で、蔓草の生えていたところではないか、という説があげられています。 じつは、上記三つの固有名詞は、まったく無関係なものではありません。 「伊知理生」は、歴史的かなづかいで記すと、「いちりふ」となります。また、「立」という漢字の字音かなづかい(漢字における歴史的かなづかいのようなものです)は「りふ」で、ローマ字で記すと「riph」のようになります。この最後の音が、つまった音につづく場合は「立体(りったい)」のように撥音になり、そうでない場合は「建立(こんりゅう) 」のように「拗音+う」のようになります(「りふ」→「りう」→「りゅう」と変化)。 ついでにお話しすると、名鉄には「三河知立駅」と「知立駅」の二つがありますが、かつては三河線と名古屋本線は別々の会社の路線で、乗り換え駅にするために、名古屋本線の駅を、三河線に近づけて新設し、線路もつけかえた、といった歴史があるそうです。初代知立駅も、「東知立駅」として長くのこっていたそうですが、三河知立駅に近いという理由で、昭和43年に廃止されたのだということです(出典:鉄道「歴史・知理」なるほど探検ガイド・川島令三・岡田直・編著・PHP研究所)。 話が脱線しましたが、「素粒子」とか、「蓑笠(さりゅう)」とかいった場合の「粒」・「笠」なども、漢字の一部分である「立」のよみから「りゅう」(字音「りふ」)とよむわけです。このように、漢字には部首の一部を用いて、片側を意味、もう片方を音にして新しい文字を作るという「形声」という用法があります。それとは別に、意味の部首同士を組み合わせて、新字を形成することもあり、これを「会意」と呼びます(「明」・「歪」など)。 よく「病膏肓にいる」を「やまいこうもうにいる」と言い違えたり(ただしくは「こうこう」・字音では「かうくゎう」)、本来「しょうこう」(字音では「せうかう」)とよむはずの「消耗」が、「しょうもう」で通ってしまっているのは、「肓」が「盲(もう〔まう〕)」と似ていたり、「耗」の中に「毛」があるので、形声と勘違いして起こる現象です。 ちなみに、「泣」は字音「きふ」で、これは「りふ」がなまったものだとも、「氵」+「粒」の会意だとも言われていて、「吸」(きふ)にも通じているそうです。 つまらない話ですが、これを知っていると、「漢字のグループ分けが容易になり、覚えやすくなる」といった効果があり、たとえば、「召」「招」「紹」「昭」「照」などが、ともに「せう(しょう)」であると分かります。 安倍さまも、「雲という字は『うん』とよむよなあ」と振り返ってみれば、はぢをかかなくてもすんだ、ということです。安倍さまの支持者に、小川なんとかさんがいらっしゃるそうですが、こういう話を教えては貰えなかったのでしょうか。 ということで、諫議大夫さんへ。またネタを借用してしまい、すみません。「しゃべクリ」のネタを考える方が労力を要する作業だと推察します。しかし、こういう話題に展開することも、大切なことではないか、と私は思うのです。 知立のかたがいらしたら、勝手に話題にしてしまって、すみま千円でした。とてもわかりやすい例だったので、使用しました。 あと、トッキーさんへ パソコンがなくても、スマートフォンがあれば、ゴー宣ネット道場は見られる筈です。
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少しどうでもよいことを記してみます(今回のライジングテーマとも関連がありそうなので)。少し分量がいる内容なので、ご容赦下さい。
愛知県に「知立(ちりゅう)市」というところがあります。
この町は古文書には「池鯉鮒(ちりふ)」と表記されており、東海道の宿驛としてはこの名称だったそうです。なんでも、ここにある池には明神の使いである鯉や鮒が多かったので、この漢字があてられたそうで、松尾芭蕉の元禄5年の句でも、この名前でよまれているらしいです(確認しようとしましたが、見つかりませんでした)。「半七捕物帳」第5話「お化け師匠」にも「池鯉鮒のお札賣り」・「知立神社」が登場します。
これは、知立神社を創設した伊知理生(いちりゅう)の命にちなんだ地名だと言われています(出典:日本地名百科辞典・小学館)。新人物往来社の「日本地名事典」では「蔓生(つるふ)」の転化で、蔓草の生えていたところではないか、という説があげられています。
じつは、上記三つの固有名詞は、まったく無関係なものではありません。
「伊知理生」は、歴史的かなづかいで記すと、「いちりふ」となります。また、「立」という漢字の字音かなづかい(漢字における歴史的かなづかいのようなものです)は「りふ」で、ローマ字で記すと「riph」のようになります。この最後の音が、つまった音につづく場合は「立体(りったい)」のように撥音になり、そうでない場合は「建立(こんりゅう) 」のように「拗音+う」のようになります(「りふ」→「りう」→「りゅう」と変化)。
ついでにお話しすると、名鉄には「三河知立駅」と「知立駅」の二つがありますが、かつては三河線と名古屋本線は別々の会社の路線で、乗り換え駅にするために、名古屋本線の駅を、三河線に近づけて新設し、線路もつけかえた、といった歴史があるそうです。初代知立駅も、「東知立駅」として長くのこっていたそうですが、三河知立駅に近いという理由で、昭和43年に廃止されたのだということです(出典:鉄道「歴史・知理」なるほど探検ガイド・川島令三・岡田直・編著・PHP研究所)。
話が脱線しましたが、「素粒子」とか、「蓑笠(さりゅう)」とかいった場合の「粒」・「笠」なども、漢字の一部分である「立」のよみから「りゅう」(字音「りふ」)とよむわけです。このように、漢字には部首の一部を用いて、片側を意味、もう片方を音にして新しい文字を作るという「形声」という用法があります。それとは別に、意味の部首同士を組み合わせて、新字を形成することもあり、これを「会意」と呼びます(「明」・「歪」など)。
よく「病膏肓にいる」を「やまいこうもうにいる」と言い違えたり(ただしくは「こうこう」・字音では「かうくゎう」)、本来「しょうこう」(字音では「せうかう」)とよむはずの「消耗」が、「しょうもう」で通ってしまっているのは、「肓」が「盲(もう〔まう〕)」と似ていたり、「耗」の中に「毛」があるので、形声と勘違いして起こる現象です。
ちなみに、「泣」は字音「きふ」で、これは「りふ」がなまったものだとも、「氵」+「粒」の会意だとも言われていて、「吸」(きふ)にも通じているそうです。
つまらない話ですが、これを知っていると、「漢字のグループ分けが容易になり、覚えやすくなる」といった効果があり、たとえば、「召」「招」「紹」「昭」「照」などが、ともに「せう(しょう)」であると分かります。
安倍さまも、「雲という字は『うん』とよむよなあ」と振り返ってみれば、はぢをかかなくてもすんだ、ということです。安倍さまの支持者に、小川なんとかさんがいらっしゃるそうですが、こういう話を教えては貰えなかったのでしょうか。
ということで、諫議大夫さんへ。またネタを借用してしまい、すみません。「しゃべクリ」のネタを考える方が労力を要する作業だと推察します。しかし、こういう話題に展開することも、大切なことではないか、と私は思うのです。
知立のかたがいらしたら、勝手に話題にしてしまって、すみま千円でした。とてもわかりやすい例だったので、使用しました。
あと、トッキーさんへ
パソコンがなくても、スマートフォンがあれば、ゴー宣ネット道場は見られる筈です。