すみません。一休みするつもりでしたが・・・。 shiroさん(№50)に感化されて、私も、「大学」の一節を引用したくなりました(誤字があったので、少し修正しました)。 伝九章 所謂(いはゆる)國を治むるには先づその家を斉(ととの)ふとは、その家教ふべからずして、能く人を教ふる者は之(これ)無し。故に君子は家を出でずして、教へを國に成す。孝は君に事(つか)ふる所以(ゆゑん)なり。弟(てい)は長(ちゃう)に事ふる所以なり。慈は衆を使ふ所以なり。 國家を統治するのに家をととのえる理由は、我が家さえ教えることができないのに、國民を教えることはできるわけがないからだ、だから、君子が國を統治するのは、己の身をもって家を教えれば、おのづと一國の模範となって、國民が皆その德に感化するからである(親孝行の心をもって君主に仕えたり、兄に対する弟のように長者に仕えたり、子弟を慈しむように衆人を使ったりするように)。 伝八章 小人(せうじん)間居(かんきょ)して不善を為す。至らざる所無し。君子を見て后(のち)厭然(えんぜん)として、その不善を揜(おほ)ひてその善を著す。人の己を視ること、その肺肝(はいかん)を見るが如く然り。則ち何の益かあらむ。これを中(うち)に誠あれば外(ほか)に形(あらは)るといふ。故に君子は必ずその独りを慎む(つつし)むなり。 不德の小人は、暇があると良くないことをする。そこには限度というものがない。小人も君子を見ると、その不善を覆い隠してその善性を見せようとする。(だが)他人が自分を観察するのは、心の奧底を見るのと似ていて、かくそうとしても無益なことだ。心の中の真実は、自然と外貌に現れるのである。だから、君子は必ず(これを深く戒めて)、自分が独りであるときでもおこないを自重するのである。 このあと、「富は屋(をく)を潤(うるほ)し、德(とく)は身(み)を潤す」とつづきます。 講談社学術文庫の宇野哲人さんの註にもとづいて、自分なりの解釋などを少し加えてみました。 とりわけ、森友学園ニュースにはうってつけの内容だったので、あげてみました。蛇足かもしれませんが。 私も、あの安倍賣國奴の、自衛隊撤収をだしに使った放送を見て、唖然としました。ため息をつきたくなりました。あいた口がふさがらない、とはこのことを言うのでしょう。
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すみません。一休みするつもりでしたが・・・。
shiroさん(№50)に感化されて、私も、「大学」の一節を引用したくなりました(誤字があったので、少し修正しました)。
伝九章
所謂(いはゆる)國を治むるには先づその家を斉(ととの)ふとは、その家教ふべからずして、能く人を教ふる者は之(これ)無し。故に君子は家を出でずして、教へを國に成す。孝は君に事(つか)ふる所以(ゆゑん)なり。弟(てい)は長(ちゃう)に事ふる所以なり。慈は衆を使ふ所以なり。
國家を統治するのに家をととのえる理由は、我が家さえ教えることができないのに、國民を教えることはできるわけがないからだ、だから、君子が國を統治するのは、己の身をもって家を教えれば、おのづと一國の模範となって、國民が皆その德に感化するからである(親孝行の心をもって君主に仕えたり、兄に対する弟のように長者に仕えたり、子弟を慈しむように衆人を使ったりするように)。
伝八章
小人(せうじん)間居(かんきょ)して不善を為す。至らざる所無し。君子を見て后(のち)厭然(えんぜん)として、その不善を揜(おほ)ひてその善を著す。人の己を視ること、その肺肝(はいかん)を見るが如く然り。則ち何の益かあらむ。これを中(うち)に誠あれば外(ほか)に形(あらは)るといふ。故に君子は必ずその独りを慎む(つつし)むなり。
不德の小人は、暇があると良くないことをする。そこには限度というものがない。小人も君子を見ると、その不善を覆い隠してその善性を見せようとする。(だが)他人が自分を観察するのは、心の奧底を見るのと似ていて、かくそうとしても無益なことだ。心の中の真実は、自然と外貌に現れるのである。だから、君子は必ず(これを深く戒めて)、自分が独りであるときでもおこないを自重するのである。
このあと、「富は屋(をく)を潤(うるほ)し、德(とく)は身(み)を潤す」とつづきます。
講談社学術文庫の宇野哲人さんの註にもとづいて、自分なりの解釋などを少し加えてみました。
とりわけ、森友学園ニュースにはうってつけの内容だったので、あげてみました。蛇足かもしれませんが。
私も、あの安倍賣國奴の、自衛隊撤収をだしに使った放送を見て、唖然としました。ため息をつきたくなりました。あいた口がふさがらない、とはこのことを言うのでしょう。