四君子 のコメント

 とてもショッキングなウェブログをよんだので・・・。
 こんな事件が起こっているなんて、知りませんでした。

 茶魔のスマートフォンの話でも思うのですが、
どうして人は自分が特別な何かであると思いたがるのか、
誰しも父親の協力により、母親の胎内から生まれ出でて、
(特徴に応じて)この世でさまざまな役割をもって生き、
やがては土にかえってゆくのだ、
極論を言うと、この世にじつは選ばれた誰かなどは存在せず、
ただその人の立場や責任上、何かをしなければならないかたがたが存在するのではないか、と思います
(これは決して、小林先生や、高森先生などのことを、己と同列に扱っているわけではない、ということを断っておきます)。
 私も投書で、川端康成作品について批評した直後に、「プライド(高慢)と偏見」という記事を見て、仰天したのですが。
(手紙作成中のことでもありましたが)、私には、あの生理用品騷動自体が、非常につまらなく、無意味なものに見えていました。先生方へのいいがかり以外の何物にも感じられなかったのです。
 もう少し意義のある、ましなことを記したかった、という気持ちもあったのです。
 長すぎたことは非常に反省しています。私にとっては、言葉がすべてだから。

 今、三宅洋平という名前をウィキペディアで検索して、合点がゆきました(写真に見覚えがありました)。あの参議院選挙の時の話ですね。
 何をおっしゃりたかったのかは分かりませんが、
何か伝えたいことがあるなら、せめて、ライジングコメント欄か、SAPIO投書欄を使うべきではありますまいか(ヴィデオ感想を使用したのでしょうか)。
 それも、ちゃんと「大東亜論」や、「ネット道場」などの話題の感想もまとめた上で。
 それでも反応がないならば、それは、(小林先生のおっしゃられるように)いそがしいからなのだ、と思います。
 感じていることはちゃんとあるのだろうとも想像しますが、
時間がとれなくていえないとか、あるいは話す気が起こらないとか、
後者の場合は、自分の記したことを振り返って考え直してみる義務もあろうかとも思うのです。

 私も基本的には、自分の興味のあるものしかよめていないです。からだの問題などもあり、ただでさえ、時間も限られてきているので。
 もっといっぱいいろいろな本をはやく正確によめて、TVとか映画とかもたくさん見られて、様々なことを理解し、ものを考えるきっかけにできたら、もっと部屋もかたづける時間もとれるのに、と口惜しさを覚えるだけです。

 というか、暇な人も存在するものですね。刑事さんか、探偵ですか(どちらも、名刺を見せてから、話をしますよ)。
  泉美木蘭さんの受難のお話を伺ってしまうと、ちょっと考えてしまいます。
 ふつう、そういう著名な偉い人の前に出たら、緊張して、何も言葉にできなくなってしまうものではありますまいか。

No.137 93ヶ月前

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