トッキーさんのブログで 「無難」で「無個性」な表現しか 出てこない世の中なんて、 本当につまらないと思うのですが、 なんでそんな世の中にしたがる人が 多いのでしょう? とありましたが、 おそらく、間違った「平等」を求めている人が多いからなのでは?と思います。 世に出れば不平等なことばかりだから、 「平等であるべき」と声高に叫ぶけど トッキーさんがおっしゃられるようにその先にあるのは、「無難」で「無個性」だとおそらく気づいてないと思います。 よしりん先生は、「民主主義の病い」の中で 「機会の平等はあるべき」と書いてあったと思いますが、その通りだと思います。 何でもかんでも平等ではなく、 「何の」平等が大事なのか?この視点に欠けているのではないのかな?と思います。 学校では、道徳や国語で金子みすゞさんの 「私と小鳥と鈴と」を使って 「みんなちがってみんないい」 と教えてるのに、社会にでると、 「みんなおんなじでみんないい」 になるんでしょうかね?
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小林よしのりチャンネル
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トッキーさんのブログで
「無難」で「無個性」な表現しか
出てこない世の中なんて、
本当につまらないと思うのですが、
なんでそんな世の中にしたがる人が
多いのでしょう?
とありましたが、
おそらく、間違った「平等」を求めている人が多いからなのでは?と思います。
世に出れば不平等なことばかりだから、
「平等であるべき」と声高に叫ぶけど
トッキーさんがおっしゃられるようにその先にあるのは、「無難」で「無個性」だとおそらく気づいてないと思います。
よしりん先生は、「民主主義の病い」の中で
「機会の平等はあるべき」と書いてあったと思いますが、その通りだと思います。
何でもかんでも平等ではなく、
「何の」平等が大事なのか?この視点に欠けているのではないのかな?と思います。
学校では、道徳や国語で金子みすゞさんの
「私と小鳥と鈴と」を使って
「みんなちがってみんないい」
と教えてるのに、社会にでると、
「みんなおんなじでみんないい」
になるんでしょうかね?