つぼきち のコメント

元々は寺と神社は神仏習合していて不可分でしたよね。
どっちかというと、当時のアジアの共通の外国語漢字の漢文の
読み書きができる僧侶の方が、神主より身分は上でしたし。

ところが、寺は、江戸時代になると、幕藩体制に飲み込まれてしまい、
戸籍を担うことになります。
寺が気にくわない人間は、非人などにされ冷遇されたし、
寺の修繕費やら、寺の拡張やらで、庶民から布施を徴収
しまくります。

室町時代や戦国時代には、寺は、年利78%などという
金利で私出挙(しすいこ)などをはじめ、財閥の様相を呈し
関所をあらゆるところにつくり、関税をかけたがために
物価が高くなり散々庶民を苦しめました。

信長による寺社の武装解除が済むと
江戸幕府は、寺社が弱体化する快心の一撃を
放ちます。それが、檀家制度と戸籍業務の委託です。

仏教界は、檀家制度のおかげで、布教しなくてもお金が入るようになったため
堕落して、葬式仏教になっていきました。

そんな中、大坂の醤油屋の息子で漢学者の富永中基(とみながなかもと)が
大乗非仏説という、大乗仏教はニセモノだという説を発表します。
『出定後語』という書物です。

寺への怨嗟は広まり、国学による「新しき旧」の再現の
動きとこれが連動して、時代は幕末を迎えます。

平田篤胤(ひらたあつたね)が富永の『出定後語』をパクッて
『出定笑語』を書くとこれがベストセラーになり
討幕のバックボーンに。

人間の死後の世界を幽冥界と捉えて、カルト化
のちにこの平田の思想は、廃仏毀釈として猖獗を極めます。

神社はもともと曽我物部崇仏論争の時から、
戦いながらも古来から神仏習合し一体だったものが、
仏教以前の「新しき旧」をめざした平田国学の運動のせいで
カルト化したという政治的な影響もあり、
どんどん悪くなっていったようです。

結局「新しき旧」を探すうちに国学者達が捏造するようになったというのが
現状のようです。
神代文字やら、幽冥界やら、どんどんカルト化していきます。

神社神道と古神道というものがありますが、
古神道は平田から発生した、カルトです。
古神道の伝などをみると元ネタが道教なのが分かります。

神社とはそもそもは、神の降臨される清浄な場所に
建てられたものなので、神を感じるためにあるものでしょうが、
変質していると思います。

No.238 88ヶ月前

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