叢叡世 のコメント

八木秀次が特措法を憲法違反と言ったのはそのロボット天皇論からまず来ているのでしょう。
皇室典範の改正に依らずに退位させてしまうのは憲法が皇室典範に則していないと言う考え方ですよね。
天皇も国体も全て憲法に則られて(規定されて)いると言う点で八木は言うのでしょう。

なんでY染色体なるものが出て来たんでしょうね。

結局これも明治期に近代国民国家を作るうえで国の統治を巡って「根拠」を求めようとした結果なんじゃないんですかね?

近代国民国家を作ったのはフランスでしたが、王様を追い出して誰が統治しているかと言う根拠を作らせたのが憲法で、同じ言葉同じ文化同じ共同体意識を持った人々がいてそれが国民意識のルーツとなっていたんじゃないのでしょうか。

日本では近代の国づくりを始めるに辺り、幕藩体制を潰して日本国民を作らせるためには先ず民族の長としての「天皇」が必要だったのでしょう。
田原総一朗が頻りに「天皇教」と言ったような感じですね。

旧幕臣たちは東武皇帝(竹田恒泰のご先祖様)を掲げちゃって薩長閥の掲げる京都の幼帝と対立しようとしてましたね。

恐らくでしょうけれど、まあよく言われる皇室が分裂(南北朝や壬申の乱や戊辰戦争など)していたから「万系一世」と言うイデオロギーが欲しかったのかもしれません。
どこにも侵されておらずどこにも分かれておらずどこにも冠を分けていないと。

明治期に国家を作るに当たって強烈なドグマが必要だったのでしょう。
平たく言えば“神話”ですよね。

皇紀も明治期に採り入れられましたよね。
西暦が1800年代なので自分達よりも長いのが悔しいとして“皇紀”を引っ張り出して来たんですよね。
どうやら初代天皇の即位は2500年くらい遡ると“調べた結果”分かったのでしょう。

『日本の方が西洋よりも歴史が古いのだ!』

という痩せ我慢のイデオロギーを振り撒いたのだと思います。

それが長く続く根拠を探してどこの王朝にも異民族にも侵されていない系統があるのだと無理矢理引っ張ってきたのが「男系」というイデオロギーだったのでしょう。
支那は易姓革命だらけで度々異民族が支配して地元の子女達が異民族の男に付き随わせられると言うことを繰り返してきたのでしょう。
無論、それを強固なものにするためにどうやら「男系に必要なY染色体というものがあるらしい」と誰かが主張し始めたのでしょう。

昔の人がY染色体だとか、もっと言ってしまえば男系だとか、遥か昔なら万世一系だとか主張なんてしてないと思うんですよね。

統治の根拠として誰かが嘘をつき始めてそれがさも「科学的に正しい」と思い込んでしまったのでしょう。

神武天皇とて倭国の時代でまだ天皇ではなかった筈です。
追号されて始めて天皇となった訳ですから。
雄略天皇でさえも大泊瀬幼武尊(ワカタケル大王)でした筈。

ダライラマも初代はダライラマではなかったようです。
追号されて初代ダライラマとなったわけです。

自分達が今そこにいる根拠を求めるために「神話」を作らせることは良くあることだと思いますけどね。

長くなってしまいましたが。

No.65 96ヶ月前

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