武藤 のコメント

「自由」という言葉をひとつとって考えてみます。
自由に行動をする。自由に言論をする。
全て自由を行う国の慣習、文化によって異なっているはずなんです。日本には日本の自由の概念が、アメリカにはアメリカの概念が、みたいに。
それを取っ払おうとするならばアナーキーな世界になるしかありませんな。
それを地球上で誕生させたのがソ連です。労働者の自由という概念を世界共通にして、コミンテルンを通じでイデオロギーの輸出を行いました。
グローバリズムの本場のアメリカでもそうですが、
国ごとの自由を認めず、自国の自由が世界共通であると過信をするとイデオロギーの輸出を行います。
それが日本であり、中東の占領政策だったのです。
これが見事に功を奏し、自由とはアメリカから教えられた価値観であり、日本人固有の自由など存在はしないという概念が生まれたのです。
戦前のリベラリストと戦後のリベラリストの断絶はここにあります。美濃部達吉、西園寺公望にしろ、リベラルとは自国の風習、慣習の制約のもとで行うと分かっていたから、皇室を尊崇しつつも西洋の文化に馴染むことができたのです。
戦後のリベラルはソ連のリベラルとアメリカのリベラルの合体政権みたいなもので、天皇制は人権侵害なので廃止。自由を実現するために社会主義の実施を行うみたいな国柄を超えた形になってしまいました。ソ連の崩壊後は社会主義の礼讃は出来なくなりましたが、本場のアメリカ流の自由を振り回し、日本の国柄はけしからんと伝統文化を攻撃を行ってきたわけです。
それに対峙していた保守がソ連の自由はダメだが、アメリカの自由は世界共通だとグローバリズム礼讃になってしまったのは両者が同じ穴の貉だったことを証明しています。
その証拠にグローバリズムと日本の国柄は相対立するはずなのに、グローバリズムを進めつつ、日本の国柄を守るとか分裂症的な言論を未だにしているのです。アメリカ型自由主義者が保守の仮面を被っていただけだと分かりますねえ。
先生の立ち位置を見ると戦後的に見れば保守ですが、アメリカの音楽、イタリアのファッション、フランスの文化に親しみつつも日本の皇室を大事にする姿勢は戦前リベラルに極めて近いと思います。

No.31 96ヶ月前

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