天皇制は国民の皇室への敬愛心が全くなくなった時点で、いくら形だけ残っていたとしても事実上終わっているのと同じだと思います。 旧宮家系の皇籍取得とか側室復活なんかはまさにそうなると思うんですが。 「皇居の奥でなんかよくわからない変な人たちがなにかやってるらしいよ、昔からの血統が続いてる人たちなんだって、でもよくわかんないし、私たちには関係ないね」 みたいな人が大半になってしまったら、 いくら男系派が男系血脈が続いてる、素晴らしい伝統だとかなんとか言ってみたところで、天皇制は事実上終わってるのと同じです。 でも、もしかしたら男系固執派はその方がいいのかもしれない。 愚かな国民と違って俺は皇室というものの素晴らしさを知っているんだ、という自分の特別性が感じられるから。 国民みんなが天皇を敬愛するようになってしまったら、 自分の特別性がなくなってしまう。 本当は国民は天皇のことなんか興味ないほうがいいんじゃないか。 また、竹田恒泰氏は「そこまで言って委員会」で、「私は皇室に入る気はない!!私はそんな資格のある人間ではない!!」というようなことを絶叫していましたが、実は竹田氏は、旧宮家系の人間で皇室に入ろうとする人間なんかいないということを本当は分かっているんじゃないか。 そして、旧宮家系の皇籍取得の法律が整備されて、実際にさあ、誰かなってください、という段階になって、一人も皇室に入ってくれる人が出てこないという現実がつきつけられ、さあどうしよう、男系派は冷や汗、となった時に、 「もうこうなったらあの方、竹田さんしかいない、竹田さん、お願いだ、あなたが皇室に入ってくれないか、そうしないと皇統が途絶えてしまう、国家の一大事なんだ、あなたが拒む気持ちもわかるが、なんとか頼む!!」 と言われ、 「うーむ、困ったものだ、私は到底そんな資格のある人間ではないと思っているし、そんな気もさらさらなかったんだが、皇統が途絶えるかどうかという国家の一大事にそんな私的な感情で拒むのもいかがなものか・・・、そうか、仕方がない、分かりました、皇室に入りましょう。」 みたいな感じに最終的になることを企んでいるのではないかと思ってしまいます。
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小林よしのりチャンネル
(ID:17949844)
天皇制は国民の皇室への敬愛心が全くなくなった時点で、いくら形だけ残っていたとしても事実上終わっているのと同じだと思います。
旧宮家系の皇籍取得とか側室復活なんかはまさにそうなると思うんですが。
「皇居の奥でなんかよくわからない変な人たちがなにかやってるらしいよ、昔からの血統が続いてる人たちなんだって、でもよくわかんないし、私たちには関係ないね」
みたいな人が大半になってしまったら、
いくら男系派が男系血脈が続いてる、素晴らしい伝統だとかなんとか言ってみたところで、天皇制は事実上終わってるのと同じです。
でも、もしかしたら男系固執派はその方がいいのかもしれない。
愚かな国民と違って俺は皇室というものの素晴らしさを知っているんだ、という自分の特別性が感じられるから。
国民みんなが天皇を敬愛するようになってしまったら、
自分の特別性がなくなってしまう。
本当は国民は天皇のことなんか興味ないほうがいいんじゃないか。
また、竹田恒泰氏は「そこまで言って委員会」で、「私は皇室に入る気はない!!私はそんな資格のある人間ではない!!」というようなことを絶叫していましたが、実は竹田氏は、旧宮家系の人間で皇室に入ろうとする人間なんかいないということを本当は分かっているんじゃないか。
そして、旧宮家系の皇籍取得の法律が整備されて、実際にさあ、誰かなってください、という段階になって、一人も皇室に入ってくれる人が出てこないという現実がつきつけられ、さあどうしよう、男系派は冷や汗、となった時に、
「もうこうなったらあの方、竹田さんしかいない、竹田さん、お願いだ、あなたが皇室に入ってくれないか、そうしないと皇統が途絶えてしまう、国家の一大事なんだ、あなたが拒む気持ちもわかるが、なんとか頼む!!」
と言われ、
「うーむ、困ったものだ、私は到底そんな資格のある人間ではないと思っているし、そんな気もさらさらなかったんだが、皇統が途絶えるかどうかという国家の一大事にそんな私的な感情で拒むのもいかがなものか・・・、そうか、仕方がない、分かりました、皇室に入りましょう。」
みたいな感じに最終的になることを企んでいるのではないかと思ってしまいます。