mt のコメント

ゴー宣道場で、小林先生が「天皇はリベラル」と言い、また高森先生が「リベラルこそ天皇を守れ」と言ったことが特に印象的でした。
個人的には、東浩紀氏がこういった観点から天皇に関心を寄せて評論してくれることを期待したいのですが、それはさて置き。
以前に高森先生が大原康男氏の説を引いて、天皇による日本国民統合を静態/動態に分けて整理されていました。
それに倣い、天皇による日本国民統合をリベラル/保守に分けて理解することもできないでしょうか。

両先生の発言におけるリベラルとは、特に天皇陛下が障碍者や被災者等の社会的弱者に心を寄せてきたお姿であり、福祉や公正を重視する立場を指してのことです。
今日の日本は、多数派の専制という「民主主義の病」によって、少数派の弱者は社会から疎外され、その結果国民が分断される状況にあります。
つまり天皇のリベラルな一面は、社会という横軸で、属性に関わらない日本国民の統合を示されているのと共に、公正的な民主制を希求するものと考えられます。

他方で、天皇陛下は戦争や災害等で亡くなった方々の慰霊にも心を尽くされています。
今日の日本は、多くの国民が悲惨な過去の出来事も死者の存在も忘れてしまい、目先の損得勘定や民意・世論に支配される衆愚政治という「民主主義の病」に陥っています。
天皇陛下の慰霊のお姿は、保守思想で知られるチェスタトンの「死者の民主主義」を想起させます。
つまり天皇の保守的な一面は、歴史という縦軸で、過去から現在までの日本国民の統合を示されているのと共に、公共的な民主制を希求するものと考えられます。

高森先生はゴー宣道場で「民主主義という呪いの解毒剤としての天皇」とも発言されていましたが、そういう意味では、「民主主義とは何だ」という問いに対して、「天皇陛下を見よ」と応えてあげても良かったのでしょうか。

日本国民は憲法によって天皇に日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であるという無私の役割を規定したため、天皇陛下は象徴としてのご公務に全身全霊をかけてこられました。
国民が憲法で天皇に象徴であることを強いていながら、(高齢のためとは言え)国民が天皇にご公務の削減を提案することは、誠実な天皇陛下からすれば国民からの矛盾した要求に感じられたのかもしれません。
天皇陛下の象徴としての在り方は、知れば知るほど有難く感じられます。
現在の日本や日本国民は、果たしてこのような天皇陛下を象徴として戴くに足るのかと思うと、恥ずかしい。

No.137 101ヶ月前

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