たとえば社会運動の現場では、特定のイデオロギーから自由になれるとは思えないのです。 たとえまっとうな思想に根付いた場所であっても。 カール・マルクスは「人間はイデオロギーから逃れられない」と述べてますが、それを批判したマックス・ウェーバーは「全てのイデオロギーを排した客観的な立ち位置もある」と述べています。 私個人としてはマックス・ウェーバーの方が腑に落ちるのですが。 仮に公論を作りたければ、ありとあらゆるイデオロギーを排した客観的な立ち位置を作る必要があるのでは…どうだろう…
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小林よしのりチャンネル
(ID:22166571)
たとえば社会運動の現場では、特定のイデオロギーから自由になれるとは思えないのです。
たとえまっとうな思想に根付いた場所であっても。
カール・マルクスは「人間はイデオロギーから逃れられない」と述べてますが、それを批判したマックス・ウェーバーは「全てのイデオロギーを排した客観的な立ち位置もある」と述べています。
私個人としてはマックス・ウェーバーの方が腑に落ちるのですが。
仮に公論を作りたければ、ありとあらゆるイデオロギーを排した客観的な立ち位置を作る必要があるのでは…どうだろう…