武藤 のコメント

時浦さんがブログに書いているシールズの若者が唱えている「民主主義を守れ!」はGHQが作り出した民主主義を守れですよね。
先生が描いていますが占領初期にGHQは「日本を軍国主義から民主主義に変える!」と宣教師の気分で実験的に占領改革を行いました。
民主主義を正確に教えるならばまだしも「世界で危険なのはナチスドイツと日本だ。その二国が敗戦した以上は世界で戦争が起こるはずがない」という
ユートピア幻想のもとで行われたことです。
ポツダム宣言では「日本国政府ハ日本国民ノ間ニ於ケル民主主義傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ」と規定されていました。
アメリカでさえ帝国憲法下でも民主主義は行われていたと思っていたのに、サヨクが「明治憲法は民主主義でない!」と言っているのは滑稽ですね。
天皇の地位についても「象徴」としていることから
押し付け憲法とは言え天皇を蔑ろにしていないことは分かるはずなんですがね。
とは言えGHQ左派であり新憲法を主導したケーディスは天皇の神格性を剥ぎ取ろうとしていました。
「新しい憲法を起草するにあたって主権は完全に国民の手にあるということを強調しなければならない。天皇の地位は社交的君主の役割のみとされるべきである。1946年の元旦の天皇の人間宣言があるように天皇の地位はどのようなものであればよいか国民の考えはできつつある」としており、「天皇は新しい存在として護られるけれども、神格化された天皇制は払拭されなければならないのは一貫したマッカーサー元帥の考えだった」と回想しています。
このケーディスの主張を受け入れる形で憲法第1条が出来ますが、「象徴」という規定はどちらかというと保守的なアメリカ人から考えられ「天皇は国を支配する権力を持たなくても、国民からは尊敬できる存在になればいい。それは単なるお飾りであってはいけない。ただし、過去に軍人に天皇の大権を利用された状況を防ぐ為に天皇には政治的権力を持たせてはいけない」としていました。
と見てみると天皇が象徴であるは「天皇は象徴に過ぎず、主権は国民にある」と「天皇は象徴であり
国民の尊崇の対象である」の二面性があるのだと思います。
文部省で出された「民主主義」が天皇は象徴に過ぎないと書いたのは当時GHQを牛耳っていた左翼に媚びた内容だなと感じます。
共産党が国会の開会式にボイコットしていたのは
ケーディス寄りの解釈で天皇を見ているからです。
象徴という存在から見たら「何が問題なんだ?」になるんですがね。
GHQに媚びた形での民主主義しか語れないことが
シールズを産んだんだと思いました。

No.163 97ヶ月前

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