配信ありがとうございます。元校長の問題発言について取り上げてくれてありがとうございます。以前から全文を読んでふと思ったのですが、なんで学生の前でこんな内容の演説を説いているのかさっぱりわかりませんでした。なぜなら学校はそもそも学生に学力を身に着けて思考力を高めていく場所であって一方的な考えを押し付ける行為は原則してはならないからなのです。もし、少子化を述べる場合、一般的に浸透している原因と人々の違う見解を述べ、最後に自分の立場でどう考えていくか生徒に課題を残すのが通常で、これはいかなる科目においても最終的には同じです。 だからこそ、一方的な思考、歴史観、社会観を述べて教えていた日教組の自虐史観、左翼史観の教科書及び教育が問題となり、「新しい歴史教科書をつくる会」が発足して「新しい歴史教科書」「新しい公民教科書」が出版されて正式な教科書として採用されるに至ったのですが、この元校長の発言内容を読んで賛同した人たちは「つくる会」の発足の経歴やなぜに自虐史観が教育現場において問題になっているのかすら理解していないのではないのかと思います。 それと、今回の元校長の発言や自称保守たちの女性に対する見解(「結婚後は働くことをやめて専業主婦に専念せよ」という価値観)を聞いてたびたび思うのですが、かつて、大企業が大々的に参入する前の商店街は大半が夫婦共働きで私が大学生だった2000年のころでも食材の買い出しに行った八百屋、肉屋、魚屋、惣菜屋のすべてが夫婦共働き、もしくは息子家族まで参加して専業主婦は皆無でしたし、幼少のころに通っていたおもちゃ屋、模型屋、書店もすべて夫婦共働きで対応していたのが店主であることもあれば店主の奥さんだったこともあり、専業主婦は買い物に来る客以外ではほぼいませんでした。また、幼少のころ、私の家族全員が中小企業に勤めていたので専業主婦だったのは体の弱い一人の叔母だけで祖父母も含めて全員夫婦共働きでした。私の母も叔父も夫婦共働きで両親が面倒を見れなかったときは親戚に面倒を見てもらうか、預かってもらうというのは当たり前で私の時代でも両親の都合で別の家族に面倒を見てもらっている子供というのは当たり前にいました。 さらに幼少のころ、兄の友人を含めて大企業に勤めていた子供がいましたが、住んでいたのはほとんどの場合は企業が用意した社宅でした。また、親の友人で独身だった大人は会社の独身寮で生活していました。結婚しても社宅が用意されていたので現在のように賃貸のアパートで家賃を含む生活費に苦しむこともなければ結婚して専業主婦になっても社宅のために住宅ローンを心配する必要もありませんでした。私が就職した大企業でも正社員には独身寮が用意され、それでいて結婚すれば社宅が用意されていたので社員寮や社宅が用意されない派遣社員、アルバイト、パートと違い、安心して結婚できる地盤が整っていて、さらにはほかの会社との交流会もしょっちゅうあったことからたとえ部署が男性、女性に偏っていても結婚相手を見つける機会はいくらでもありました。 現在、私がかつて通っていた商店街の店も大半が大手企業の店に代わり、家族経営をしている店は数えるほどになりました。この元校長も自称保守派の人々もかつては商店街や社宅、社員寮を通して幼少から大人になるまでの間に私よりもこの商店街や社宅で見られた「共同体」を体験しているはずで、現在と昔の商店街や社宅、独身寮の現状を少し調べてみれば専業主婦も子育ても経済状況からしても育児環境からしても昔よりもはるかに困難で難しくなっていることが分かると思うのですが、自称保守派の連中も元校長も自らが育ってきた、原発なしで成し遂げた高度経済成長を忘れたように、自分たちが育まれてきた共同体という存在も忘れてしまったのでしょうか。
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小林よしのりチャンネル
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配信ありがとうございます。元校長の問題発言について取り上げてくれてありがとうございます。以前から全文を読んでふと思ったのですが、なんで学生の前でこんな内容の演説を説いているのかさっぱりわかりませんでした。なぜなら学校はそもそも学生に学力を身に着けて思考力を高めていく場所であって一方的な考えを押し付ける行為は原則してはならないからなのです。もし、少子化を述べる場合、一般的に浸透している原因と人々の違う見解を述べ、最後に自分の立場でどう考えていくか生徒に課題を残すのが通常で、これはいかなる科目においても最終的には同じです。
だからこそ、一方的な思考、歴史観、社会観を述べて教えていた日教組の自虐史観、左翼史観の教科書及び教育が問題となり、「新しい歴史教科書をつくる会」が発足して「新しい歴史教科書」「新しい公民教科書」が出版されて正式な教科書として採用されるに至ったのですが、この元校長の発言内容を読んで賛同した人たちは「つくる会」の発足の経歴やなぜに自虐史観が教育現場において問題になっているのかすら理解していないのではないのかと思います。
それと、今回の元校長の発言や自称保守たちの女性に対する見解(「結婚後は働くことをやめて専業主婦に専念せよ」という価値観)を聞いてたびたび思うのですが、かつて、大企業が大々的に参入する前の商店街は大半が夫婦共働きで私が大学生だった2000年のころでも食材の買い出しに行った八百屋、肉屋、魚屋、惣菜屋のすべてが夫婦共働き、もしくは息子家族まで参加して専業主婦は皆無でしたし、幼少のころに通っていたおもちゃ屋、模型屋、書店もすべて夫婦共働きで対応していたのが店主であることもあれば店主の奥さんだったこともあり、専業主婦は買い物に来る客以外ではほぼいませんでした。また、幼少のころ、私の家族全員が中小企業に勤めていたので専業主婦だったのは体の弱い一人の叔母だけで祖父母も含めて全員夫婦共働きでした。私の母も叔父も夫婦共働きで両親が面倒を見れなかったときは親戚に面倒を見てもらうか、預かってもらうというのは当たり前で私の時代でも両親の都合で別の家族に面倒を見てもらっている子供というのは当たり前にいました。
さらに幼少のころ、兄の友人を含めて大企業に勤めていた子供がいましたが、住んでいたのはほとんどの場合は企業が用意した社宅でした。また、親の友人で独身だった大人は会社の独身寮で生活していました。結婚しても社宅が用意されていたので現在のように賃貸のアパートで家賃を含む生活費に苦しむこともなければ結婚して専業主婦になっても社宅のために住宅ローンを心配する必要もありませんでした。私が就職した大企業でも正社員には独身寮が用意され、それでいて結婚すれば社宅が用意されていたので社員寮や社宅が用意されない派遣社員、アルバイト、パートと違い、安心して結婚できる地盤が整っていて、さらにはほかの会社との交流会もしょっちゅうあったことからたとえ部署が男性、女性に偏っていても結婚相手を見つける機会はいくらでもありました。
現在、私がかつて通っていた商店街の店も大半が大手企業の店に代わり、家族経営をしている店は数えるほどになりました。この元校長も自称保守派の人々もかつては商店街や社宅、社員寮を通して幼少から大人になるまでの間に私よりもこの商店街や社宅で見られた「共同体」を体験しているはずで、現在と昔の商店街や社宅、独身寮の現状を少し調べてみれば専業主婦も子育ても経済状況からしても育児環境からしても昔よりもはるかに困難で難しくなっていることが分かると思うのですが、自称保守派の連中も元校長も自らが育ってきた、原発なしで成し遂げた高度経済成長を忘れたように、自分たちが育まれてきた共同体という存在も忘れてしまったのでしょうか。