武藤 のコメント

保守が取り上げる明治憲法の条文について考察してみます。
伊藤博文が言ったように憲法を作る目的は君権を制限する為にありました。
だから表面上は膨大な大権を天皇が保有していますが、実際に行使するには輔弼、翼賛が必要であり
君主が恣意的に権力行使をするのを禁止させました。
臣民の権利については「法律に反しない限り」というカッコつきではありますが保障はしていました。
芦田均によると明治の指導者がこの制限を設けた理由は、国民の代表から成る立法府において「まさか
人民が不利になる法律規制がなされるはずがない」と考えていたからだと言っています。
実際は治安維持法、国家総動員法と人民の自由を縛る法律が人民の意思により成立したという皮肉がありました。
ともかく明治の藩閥指導者も人民を自由にしないという目的で憲法を制定したわけではありません。
人民を自由にし活動的にし、本人の能力によっては
どんな職業につくのも自由としたわけです。
左翼が批判するのは「教育勅語を通じて、天皇崇拝が強要された」と。教育勅語を朗読しようが帝大で社会主義は栄えたということを考えると天皇崇拝観念がない学生にはあまり効果はなかったのではないか?と思いますがね。
政府の目的としては教育勅語を通じて近代的な個人。国粋主義に走らず、社会主義思想に走らず
国家に忠誠を誓う国民を作りたかった面はあると思います。しかも、これは命令ではなく明治天皇の勅語ですからね。社会主義者とは逆に国粋主義者にはダメージがあったのではないか?と思います。
戦前において社会主義思想が禁止されたのは、社会主義思想が暴力的であり、革命思想だったからでしょう。社会主義思想以外にも暴力的な国粋主義にも適用されてましたから、政府としては暴力革命を防ぐことしか目的はなかったと思います。
また、戦時体制という異常な状態ではある程度は人民の自由が束縛されること、天皇崇拝が強要されるのは仕方ない面もあると思います。総力戦であるからなんでも動員しますからね。
と見てみると、明治政府は教育勅語により国粋主義的に天皇崇拝を強要したわけではなく、暴力的集団に参加させないように一般人として勉強し、学校に行き、結婚して子供を持ち、国家に災難があれば命がけで戦ってくれと命令ではなくお願いしたのが教育勅語だと解釈します。
当時の日本は天皇の名を借りて暴力的集団、打倒藩閥を唱えるグループがいましたから、彼らの天皇崇拝を利用して、暴力的集団を解散させようとしようとしたものと思います。
国づくり、国家、国民観念のない時代から近代国家を作り出す過程が明治憲法時代でありますから
いろいろと問題点は出たと思いますが、政府の考えとしては決して人民に自由活動はさせないようにしたわけではないと思います。

No.109 105ヶ月前

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