「最高の人生」とは?
人生をかけて何かの「お宝」を集めている人が、死んだとする。
本人にとってはとんでもない苦労をして集めた「すごいお宝」なんだけど、家人には「ガラクタにしか見えない」なんて事もある。
最近いくつかそういう話を聞いた。
「おじいちゃんの宝」が一瞬で「ゴミ」に変わる。
そんな時「同じ趣味の仲間」が現れて、宝を引き継いでいけばいいんだけど、そうもいかない例も多いだろう。
特にネット、サブスク時代になって「画像・動画・音源」なんかは1部の人達のものではなくなった。
あとは「初版本」やら「レコードジャケット」やら「直筆もの」なんかが希少価値として残っていく感じだろう。
神保町なんかの古書街を見ていると、三島由紀夫クラスの文豪の生原稿が売りに出されている事がある。
そういったものを、多少高額でも自分のものにして部屋に置いておきたい、という気持ちはわかる。
そんなふうにして買い集めた「お宝」は、その人の人生を幸せにしたのだから、それはそれでいいのだとも思う。
でもこの手の話に何かしらの切なさを感じるのは、残された世代に「その価値」の「重さと意味」が伝わっていないまま「ゴミ」にされる悲しさがあるからだろう。
【捨てられた勲章】
僕はと言えば、あまり「もの」には執着しない。
欲しいのは「最高の時間」だ。
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こたつに入りながらこれを読んで、ほのぼのと嬉しい気分になりました。山田先生、ありがとうございます。