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山田玲司のヤングサンデー 第402号 2022/8/8

1人でも生きられる

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瀬戸内寂聴さんは「自分の本で一番売れたのは『1人でも生きられる』って本だったのよね」と言っていた。


「みんなこういうの好きなのよ」と言った後に「でも1人で生きるなんて無理よ!」みたいな事を言って笑っていた。


この話、もちろん全部を「無理」と言っているのではなく「人は誰でも沢山の人達に支えられて生きているもの」と言っていたのだと思う。


「私は1人で生きる」とか言っても、夜中にネット回線が壊れただけで「もう生きていけない!!」とか言い出すのが現代人だ。



【ぼっち礼賛】


アホみたいな同調圧力のかかってる日本では、とにかく「団体」にいるのがしんどい。


「普通こうじゃね?」とか「あの人変よね」みたいな感じでとにかく「みんな同じ」にされるからだ。


その根拠も納得いかない上に、声の大きい変なのがリーダーになってたりするもんだからさらにしんどい。


そんなこんなで「あんなのに合わせて生きるくらいなら1人でいる方がまし」みたいになるのは本当によくわかる。


そんな「1人ぼっち主義」を「ぼっち」と呼ぶようになって久しい。


ここ数年はリア充組(死語に近い)の衰退に合わせて「ぼっち礼賛派」が拡大していったように見える。


いや・・もうずっと前からそういう流れなのかもしれない。


「ぼっち上等!」という気分もわかる。


でも「ぼっち」だけだと寂しいのもわかる。


そんなわけで「自分をわかってくれる人が1人でもいてくれればいい」みたいなとこが多くの人の本音だろう。



【ぼっちを落とせ】