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山田玲司のヤングサンデー 第379号 2022/2/21

襟裳岬からZOOM画面へ

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【演歌が敵だった頃】


僕が中学の頃。1980年あたりはヒットチャートに演歌が入っていた。

アイドルの全盛期でもあり、矢沢永吉やチェッカーズなどのロック系、ポップス系、ユーミンなどのニューミュージック系に加え「YMO」などのテクノ系まで現れ始めた時期だった。


そんな新しい音楽が大発生している中に「八代亜紀」や「山本ジョージ」なんかも普通にいるのだから豊かな時代だと思う。


当時の若者にとって「演歌」は古いものの象徴であり、そんなものを聴く人間は「昔の人間」と言われていた。


演歌は「恥ずかしい実家」であり「地元のみっともないおじさん」みたいな存在にされていた。


それは同時に狭い社会からの同調圧力に対する嫌悪感もあったと思う。



【アメリカ人になる?】


ところが年を重ねるにつれ「演歌が染みてきた」なんて言い出すヤツが現れる。


戦後の日本人はとにかく「欧米コンプレックス」が強く、彼らに近づくことが「素敵な事」だと思い込んできた。


ニューヨーカーに憧れ、パリジェンヌのマネをした。


それでも心の中には「実家」がある。

演歌や民謡なんかを聴くと「どうしようもなく日本人」である自分の中の「何か」が震える。


「アメリカ人になろうとする自分」に疑問が生まれる。


「アメリカもいいけど日本を否定する必要はないだろう」なんて思えてくる。


そういえば矢野顕子さんなどは「日本」を核にしたままジャズや欧米のポップスと混ざった新しい日本の曲を作っている。


そんなこんなで「日本も欧米も良いところはある」と、ミックスは加速していく。


80年代になると「中国もいいよね」となって「YMO」などの先端カルチャーからドラゴンボールまで進んでいく。



【ご当地ソング】


ご当地ソングの名曲が多く生まれたのは70年代前後の「欧米人になりたい」「日本文化はダサい」という時期だったと思う。


寅さんシリーズの後期は欧米化(近代化)していく若者に嘆く寅さんが描かれている。


ご当地ソングの多くが「別れの歌」だ。

僕は日本人はこの時期に「それまでの日本」と別れたのだと思う。