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山田玲司のヤングサンデー 第265号 2019/11/25

出会いについて

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こんにちは。




三ヶ月に一度の久世の番です。 




出会いには意味があるのでしょうか?

答えのない話をします。

最近考えていることです。

最後に舞台の宣伝をします。悪しからず。



彼との出会いは2016年の8月でした。

阿佐ヶ谷という街で、4団体出ているオムニバス形式の公演の一つを彼は作・演出・出演していました。



それを手伝っていた僕は公演後の打ち上げで彼に面白かったです。ありがとうございましたと伝えました。



自分がやってきたこと、自分がやりたいことが詰まった舞台に出会えたから素直に感謝出来たんです。


面白い舞台はたまにあっても、自分のやりたいことをやっている舞台に出会えることってほとんどありません。



それに出会えてしかもその人と話せることなんて本当に奇跡に近いレベルでありません。


なので、その舞台を見て、ああ、こういうことをやりたいのは一人じゃなかったんだという謎の安心感と、ああ、自分のやりたいことは面白いんだという妙な自信を貰いました。





彼は僕の言葉に対してそのとき奇妙な北海道訛りの関西弁で

「ありがとうございます」と「丁寧」に応対してくれたのを覚えています。それが最初の会話です。



最近彼とその時の話をする機会があったのですが、

彼はそのとき、演劇の人間と仲良くなりたい時期だったそうです。



踊りながら話す彼は少しダンサーの中では異質で、そういう意味であまり同じ目線で話せる人間がおらず、もっと演劇のメソッドを取り入れた作品を創ってみたい気持ちもあり、演劇の人と仲良くなりたいタイミングだったそう。



僕は逆に言葉と身体というテーマを深化させるために、役者ではない身体の人、特にダンサーの人と仲良くなって表現を模索したい時期でした。

役者の身体だけで「詩」を物語ることに限界を感じていたのです。





彼の名前は熊谷拓明。




他の人の公演を連続で観たり、同じ団体を追いかけるということをしたことがない僕でしたが、出会ってから、その後の彼の公演を追いかけるようになり、1年後、山田玲司のヤングサンデースピンオフ「ほろ酔い久世チャンネル」が始まったときに彼を誘い今に至るわけです。



この番組に誘った理由も、去年会った中で一番面白い人となんかやりたいなと思ったからでした。




そんなこんなで出会ってからもう3年以上が立ち、

番組を一緒にやるだけではなく、この2年くらい一緒に作品も創るようになりました。




出会いって何だろうか。なんで出会ったのだろうか。

出会ったから意味を感じるのか。

意味があるから出会ったのか。

どちらなんだろうか。すべては諸行無常。



意味はあるし意味はない。

どちらも正解だしどちらも正解じゃない。



物事はただそこにあるだけで、それが答えで、いちいち考えることでもないのかもしれない。

けど考えてもいい自由が僕にはあって。

何から始めても何を終わらせても結果は変わらないかもしれないけど、何かを真剣に選ぶことに人生の多くの時間を使ったりする。



例えば誰も同時に違う人間と居れないから。今一緒に居たい人を選ぶ。




僕は人は出会いによってしか人は変わらないと思っています。

出会ったから変わったのか、変わるために出会ったのかそれは分かりません。



変わることに意味があるのかもわかりません。



でも、出会うことには意味を感じて変わってしまう。僕はそういう生き物です。




望と出会わなければ玲司さんにも会えてないし、ヤンサンには出てないし、知り合いの音楽家が「最近ニコ生で面白い番組見つけてみてるねん。山田玲司のヤングサンデーっていうんやけど・・・」




って話さなければ、久々に望に連絡とろうとも思ってないし、

ヤンサンが無ければ、熊ちゃんと舞台も作っていないと思う。




いい出会いもあるし悪い出会いもある。

出会ったことに大きく意味を感じる出会いもある。感じない出会いもある。




ちなみに玲司さんも望もしみちゃんも、話していると自分と話しているように感じるときがあります。



他人と出会うことで自分と出会っている。そういう感覚になれる出会いに僕は意味を感じるのです。





タイミングってなんなのか?出会いって何なのか?

意味をつけたがるのは人間の悪い癖でしょうか。

それともそれは愛すべき人間のお茶目な特性でしょうか。



僕は顔もわからない方に向けてこうやって文章を通して出会ったことにも何か不思議な縁を感じています。


自分に対していつも声をかけているようなそんな感覚で、ここに描いています。顔が見えないからかもしれません。




出会ったことが意味になり、出会えたことで変化をする、たくさんの自分だと思える変な生き物と出会って話して笑うようなそんな日々を送りたい。

ヤングサンデーは僕にとってそれが実現できる場です。




変わるって言葉は適切ではないかもしれないな。別に変わりたいと思って生きているわけではないから。



出会いによってしか僕は何かを感じられない人間なのだと思います。



言葉に出会わなければ考えることもできなかったし、考えることが無ければ、感じることを知覚できなかったし、知覚できなかったことはあったのかなかったのかわからないと思う。




知覚できなくてもあったことはあったんでしょうけど、

少なくとも僕は感じることを知覚して考えて、考えたら笑いたい。それにまず。生まれる事で世界に出会わなければそもそも無ですね。



生まれたからには体と頭は有るのだから変わることを楽しみたい。



出会うことで僕は僕を楽しみたいのかなと思います。



そんな一つの大きな出会いの一つの到達点を今発表しています。



僕にとっては奇跡的な他人から見たら普通の出会いによって生まれた作品。




熊谷拓明、生まれて40年、踊って25年の記念公演。

千歳船橋、APOCシアターにて上演中の

「北の空が赤く染まるとき、四十男がこうべを垂れる」という作品。

これにはたっぷりと僕が詰まっています。脚本も演出も関わって作った作品。




良かったら毎日行われていて毎日変化している出会いの集大成を覗きに来てください。




詳細はこちら

odokuma.com




熊谷はよく「私ダンスが大好きです。ダンスのことを軽く扱われると許せない」というような人間より

「自分の方がよほどダンスが好きなんだけどな」と皮肉な顔をしてうそぶきます。

「ただのダンスだから。」とも言います。25年間踊った男がいう「たかがダンス」という言葉は

僕には毎日踊る「覚悟や決意」のようなものに感じます。




僕も毎日呼吸をするように作品を創る人間です。でもたかが言葉。そう思って生きている。言葉はほとんどの問題の種。

言葉では伝えられないのにそれを言葉で伝えたいという矛盾の楽しさ。




今ある、僕を見つけてくれた全ての人への感謝と、知り合っているのにまだ僕を見つけてくれていない人への緩やかな怒りのようなものを原動力に毎日。紡ぐ75分の作品。



あと、6日。よかったら遊びに来てください。



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公式サイト:久世孝臣​works
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企画編集:久世孝臣
     平野建太

発  行:合同会社Tetragon
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