凍える猿
SSSS.グリッドマンの最終回は、心を閉ざした少女アカネがボスを倒す事で終わる。
そしてその方法は「自分の部屋を出ること」だった。
アカネが自分で自分の心を修復して外の世界に出る、という話が「グリッドマン」だったわけだ。
番組でも話したけど、これは近年何度となく作られてきた「バーチャル世界からの脱出」というテーマのコンテンツで、「マトリックス」しかり「バニラ・スカイ」しかり、生ぬるい仮想世界(自分だけの世界)から厳しいけどリアルな現実世界へ、というジャンルだ。
素晴らしいテーマだし、本当に共感もする。
とはいえ「生ぬるい仮想世界」からそう簡単にハードな現実世界に出ろって言われてもキツいのもわかる。
母親に「ゲームばっかり!」と叱られながら大人になって、今度は「お酒ばっかり」とか「ネットばっかり」になる。
人間はそもそも「生ぬるい場所」から抜け出せないものなのだと思う。
何度か書いたと思うけど、僕は雪山の温泉に入っている猿が気になって仕方がない。
何が気になるかと言えば、あの猿達はいつ温泉から上がるのか?という事だ。
僕の行く温泉は温かい脱衣場もタオルもあるし、着替えも用意してある。何ならドライヤーまである。
でも、雪山の温泉猿たちはそんなものはない。
温泉から上がったらずぶ濡れだ。何しろそこは雪山だ。
温かな温泉のお湯も上がってしまえば猛烈に体温を奪う冷たい水に変わってしまうだろう。
そんな未来が待ってるのに、あの猿達は温泉から上がれるのだろうか?
そうは言っても彼らだってお腹は減るし、喉も乾くし眠くもなるはずだ。
当然「のぼせる」こともあるだろう。
おそらくそんな諸々の事情でやむなく猿達は温泉を出るのだと思う。なんて辛い話だ。
そしてこの猿は僕らの社会と見事に重なる。
文明社会は「温泉」だらけだ。ネットゲームもSNSもアイドルもアニメもロックフェスも漫画も言ってみれば「温泉」だ。
そして外は雪山。
ああ辛い。怪獣造って気に入らない奴らを消したい気分もよくわかる。誰だって「アカネ」モードはあると思う。
大きな組織の正社員になりたい、というのも「温泉に浸かっていたい」というのと似ている。
僕はフリーの仕事なので、生ぬるい環境(温泉)は初めから味わえない身分だけど、それでも漫画の連載が好調な時は温泉気分だった。
当然どんな漫画もヒットするわけではないので、外した後は苦労するし「雪山の洗礼」も味わうけど、レギュラーの雑誌があって担当と次回作を作っている時はまだましだった。
僕が本当に雪山に放り出されたのは今から10年前の2009年だった。
大好きな忌野清志郎が死んだ年だ。
前年にリーマン・ショックがあり、創刊からずっと連載していた「週刊ヤングサンデー」がなくなった。
僕は慌てて隣の編集部の「ビッグコミックスピリッツ」で環境問題の漫画の連載を始めたが、これがとにかく売れなかった。
僕は必死にいくつもの編集部に売り込みをしたけど、どこにも相手にされない。
それが10年前の僕の状況だった。
ヤングサンデーという「温泉」はもうない。
僕は七転八倒して再び「ビックコミックスピリッツ」で連載を開始するももう一つ跳ねない。
サンデーのウェブで月一連載したり、カッキーと「モテない女は罪である」とかを作ったりしたけど、とにかく結果が出なかった。
2009年からの数年間は雪山温泉を追い出されたずぶ濡れの「凍える猿」だった。
そんな中で僕は「山田玲司のヤングサンデー」という「自分の温泉」を作ってやりたい事を始めたのだ。
ずっと感じてきた「自分には漫画以外にできることが沢山ある」という気持ちをここにぶつけたら、ようやく結果が出てきた。
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