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山田玲司のヤングサンデー 第220号 2019/1/7

ルッキズム卒業宣言(人を見た目で評価する7つの愚かさについて)

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親愛なるヤンサンファミリーの皆様、あけましておめでとうございます。

(写真は箱根駅伝を見ている実家の猫です)

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去年の僕は「商業誌の漫画家」としては厳しい年だったのですが、ヤンサン関連では嬉しい事が本当に沢山あって、いい思い出をいっぱい残せた年でした。


僕は自分自身の評価に関しては厳しい方なので、色々結果が出ないと凹む方なんだけど、ヤンサンでは愛のあるメッセージがコメントで伝わってくるので本当に助かってます。



そんなこんなで、新年最初のメルマガは「見た目を評価してくる人」についてです。





えー…突然ですが、あなたは自分を「日本で何位の人間」だと思いますか?


そんな事言うと、おそらくこう言われます。



それって生産力で? 見た目で? 若さは関係ある? 希少性は? 賢さは? 血統は?

・・なんていう「何を基準に順位をつけるのか?」という話になるでしょう。 


そこは自分の判断で、と言うと、その人が「何を基準に自分や他者を測っているのか」という事がわかります。


それで何だかんだ議論した後に、必ず「人間の価値に順位なんか付けられないよね」という当たり前の結論でみんなが同意します。


ところが現実社会は、生まれた瞬間から何かしろの順位がつけられ、これが死ぬまで続きます。

繊細な思春期に意味のないレースに出されて、頼んでもいない「順位」を付けられるのです。


「足の速さ」「学校の成績」「身長、体重、目の大きさ、鼻の高さ」「家族の収入」とか、そんな下らない事でいちいち順位が付けられ、自分は2軍か?3軍か?なんて。


「スクールカースト」なんて言葉が使われる遥か昔から、世間てのは「こんな」だったのです。


なので、みんな理屈では「人の価値に順位はつけられない」と言いつつ「常に順位」の世の中でうんざりしてたわけです。


何度も言ってますけど、そんなダブルスタンダードの偽善的な物言いが嫌になった人の中から「ぶっちゃけ」が現れたわけです。


「ぶっちゃけ見た目でしょ」


という「本音主義」が流行って久しい。

「みんなちがってみんないい」とか言っても、結局は見た目やら収入やら、学歴なんかで人を見ているじゃん。結局は見た目と金じゃん」

みたいなやつだ。

昔の人はそんな事はわかってて、それでも人は見た目じゃないよ、なんて言ってたけど、そんなの偽善だと言うわけです。

そんな幼児的な主張をありがたがってるのは、明らかに「知性の劣化」だと思うが、そんな考えが主流になってるのも事実。



ところがこの「ぶっちゃけスタイル」という生き方は、とにかく損をする。


僕はこの件に関して何度も語ったり書いたりしてるのだけど、ヤンサンファミリーには幸せになってもらいたいので、新年最初のメルマガはこの話にします。


ヤンサンではお馴染みの「ちょうどいいおっぱい問題」の本質です。


人を見た目で評価して、安直にそれを口にしてるとどうなるか?


何について損をするのか?


その理由を簡単に説明してみよう。





人の「見た目」を評価する人はどうなるか?