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山田玲司のヤングサンデー 第218号 2018/12/24

2020年代の最先端とは?

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映画「レディ・プレイヤー1」の中で、アバターしか知らない友人の「素顔」を見るシーンがある。

バーチャル空間で「クールな美女」として出会った女の子と現実の世界で会うのだ。

その女の子が普通に可愛いので、批判する人もいたけど、それよりも最高だったのが、バーチャル空間での親友と現実で会うシーンだ。


主人公ウェイド(若い男)はバーチャル空間で、彼の相棒は物凄いマッチョで恐ろしくメカに強い優しい男だ。


ところが現実に会ってみると、その相棒は黒人で大柄の「気の弱い女の子」だった。

見た目は全然イメージと違うけど、ウェイドは彼女がどういう人か知っている。


2人は現実の「見た目」のバイアスを超えて、信頼関係を持続させる。

いつもと同じ相棒として現実でもやっていくのだ。


この映画の一番いいところはここだと思う。



「人は見た目だ」という、幼稚な開き直りの時代は「アバターの進化」のせいで「中身は大事」という結果になったわけだ。


見た目もあるけど、それだけじゃない。

当たり前の話。

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今回の放送で言っていた、バーチャルアイドルの件も同じ。

沢山の美少女キャラが乱立してわかってきたのは、人はキャラクターの中の人の「人間性」に魅かれるという、恐ろしくまともな結論だった。


完璧な女の子ではなく、ダメなところが垣間見えた方がいい。

なんなら「素のダメさ」が見たいのだ。


これは男がよく言う「隙のある女の子が好き」みたいな浅い話ではなく、「人間は人間が好き」という、シンプルでパワフルな結論だと思う。



ところでもうすぐ1年が終わる。



今年は「CICADA」の連載が終わった。


これだけはやはり少しだけ話しておこうと思う。