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山田玲司のヤングサンデー 第199号 2018/8/13

シルバニアファミリーを買ってもらえなかった女

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先日SNSで「どうせ私はシルバニアファミリーを買ってもらえなかった方の女よ!」という投稿を見た。

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なんてことだ・・・。


今の世の中は「シルバニアファミリーを買ってもらえた方の女」と「買ってもらえなかった方の女」に分かれているのか?!


分かれて戦争しているのか?!



そもそも買うも買わないも「親」が決める事だし、しかも「昔の話」なのでどうにもできない。

ところがこの話、実に根が深い問題でもある。


普段は仲良くても、何かの拍子に子供の頃に欲しいものを「買ってもらっていた派」か「買ってもらえなかった派」なのかがわかってしまう時がある。


こうなると変に気まずくなる。


「こいつ・・あの時に買ってもらったほうのヤツだったのか・・」


なんて思う人が必ずいるのだ。


同じ仲間だったはずなのに、いきなり「あの頃の敵」にされてしまう「買ってもらえた方」は居心地が悪い。

自分のせいではないのに「甘やかされて育ったヤツ」みたいにされてしまう。


とはいえ、自分が「買ってもらえなかった人」だと「買ってもらえた人」が何か許せなくて「あいつらは甘やかされて育ったから、自立できない」とか批判したくなる気持ちも分かる。



どちらの派も「過去の経験は自分のためになっている」と思いたいので、それを否定されるとカチンとくるのも当然だろう。


「買ってもらえた派」は、買ってもらえたから「優しい人になれて良かった」みたいに思いたいし、「買ってもらえなかった派」は、それがあるから「今の強い自分がある」みたいに思いたい。


なので「なんでも欲しいものを買ってもらったから自立できないダメ人間になったんだ」なんて言われたらムカつくし、「欲しいものを買ってもらえなかったから自己肯定感が低くて人に厳しいんだ」なんて勝手に分析されたら「決めつけんな!」となるだろう。



更にこの問題を複雑にしているのは、「パソコンや、ゲームを買ってもらえたおかげで、その道に進むきっかけをつかんだ」みたいな人もいるし、「買ってもらえなかったからこそ憧れは消えず、頑張ることができた」みたいな人もいるってことだろう。



どっちにしても「極端に与えてもらえなかった何人かの友人」が、その事で苦しんでいたのは知っている。


彼らは「自分は欲しいものを全然買ってもらえなかったから、他人が許せないんだと思う」とか「自分がこの世界に求められている感じがしない」みたいな事をよく言う。




それにしても「この話」


またしても「親は選べない問題」だ。