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山田玲司のヤングサンデー 第184号 2018/4/30

「バカな親」は怒っている

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両親が大喧嘩している。

大声で互いをけなし合っている。


主人公の少年は、2人のケンカを聞きたくなくて、テーブルの下に逃げ込み、両耳を塞いだまま「あーあー」と声を出して聞こえないようにする。

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これは、ラッセ・ハルストレム監督の「マイライフ アズ ア ドッグ」という映画のシーンだ。

僕はこのシーンが忘れられない。



ここで少年は「こんな時は宇宙に送られた、ライカ犬の事を考える。帰って来られないのに宇宙に送られた犬だ。あの犬に比べたら僕は幸せだ」みたいな事を思う。



嫌というほど有名なセリフだけど、何年経ってもこのシーンを思い出す。



当たり前だけど、親のケンカは、子供に大きなダメージを与える。


その「本質的な理由」の1つに、自分の親が「人生に失敗している」事を目の当たりにさせられるからだと思う。


自分の意志で相手を選んで、幸せになるはずの2人が、感情むき出しで罵り合いをしている。

子供から見たら、この2人は「幸せになる事に失敗している」と思うだろう。


この事は「国や社会」にも言えると思う。





最近のテレビやネットを見ていると、みんなが怒っている。

油断していると、僕もついその「ドロドロとした何か」に引きずられて、暗澹とした気分になってしまう。


そんなニュースの中にも、いいニュースはある。


番組で言っていた「プラスチックを食べる虫」の話もそうだし、ヨーロッパではついに、あのミツバチ殺しの「殺虫剤」が禁止になったという。


墜落していく世界にも希望はあるのだ。



それでも、そんな話はまず聞かれない。


何を見ても、いつもの「怒った人」が何か言ってる。

人生に失敗した「バカな親」の姿を見ている様で気分が滅入る。



なので最近は「自分がまだ純粋だった少年時代に聴いていた曲」を色々と聴いていた。


何十年ぶりに、松山千春の初期作品の「こんな夜は」を聴いた。


今更ながら、その曲の世界には、驚くほど「ノイズ」がない。

サウンドもそうだけど、何しろ描かれているその「世界」にノイズがないのだ。


「みんな寒いだろうね、こんな夜は」と言っているだけなのだ。

まるで隣にいる人が「みんな寒いだろうね」とか言ってるみたいだ。


そこには「シンプルな優しさ」があって、自分より「誰か」の事を思っている人がそこにいる。

「ただの優しい人」が、そこにいるのだ。




僕は思い出す。1981年。


まだネットのなかった時代。部屋にはラジカセしかなかった時代。


深夜のラジオでは、大人が「僕だけ」のために語ってくれて、彼らはいつもご機嫌だった。



そんな事を思い出していたら、何だか「森」に行きたくなって、車で千葉にある自然公園に向かった。



煮詰まった時の定番コースだけど、そこに行けば、ほぼ確実に「森」があるのだ。


ところが、連休の公園は人でごった返しているみたいで、近隣の道はすでに車で溢れている。

ご機嫌な人たちもいるけど、こういう日の公園には「怒っている親」も多い。


なんだかもう、公園に行くのも嫌になって、曲がるべき道を曲がらずに「知らない道」を走った。

もう「怒っている人」に会いたくないのだ。



すると、すぐに「知らない喫茶店」を見つけた。

しかもそれは「森」の中にある。