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山田玲司のヤングサンデー 第183号 2018/4/23

〜「平均」を出すと全員が不幸になる〜

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《思い出し怒り》


きっかけは、おっくんの「きたがわさんもレイジさんも若いじゃないですか〜」

という他愛ない一言だった。


気の毒なおっくん。

彼は何も悪くないのに、僕の中で「思い出し怒り」が蘇ってしまった。


「うるせえ、どうでもいいんだ。そんな事は!」

「日本人は『年齢』と『体重』の話ばっかしすぎなんだよ!」


確か僕はそんな事を言ったと思う。



実はこの時僕が「爆発」したのは、今回のテーマである「フジテレビの件」が原因だった。



それは番組で話していた「とんねるず登場」の80年代半ばの話。

そして「それ」が象徴とするこの国の「排他的流れ」は、僕にとって大きな「何か」なのだ。

以前にも書いたり話したりしているけれど、どうしても「あの頃の怒り」が蘇ってしまうのだ。


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《とんねるずの時代》


彼らは「体育会系のやり方」で、「ノリの悪いヤツ」を「排除」、もしくは「ネタ化」していた。


その中にいたのが、見た目でラベリングされた「ガリ勉」や「オタク」や「ゲイ」などだった。

彼らは無邪気に彼らをラベリング(キャラ化)して、笑いの対象(ネタ)にした。


そういう空気は物凄い勢いで当時の若者に浸透し、「あのノリ」に乘れないやつは「遊び場」から排除される、という空気になっていった。

そして、その「遊び場」には、いわゆる「イケメン男子」と「可愛い女の子」が含まれていたので、多くの若者は「そこ」から排除されないように必死になった。


かなり前にこのメルマガで書いたかもしれないけど、僕の大学時代の友人は、ずっと「アニメファン」だったけど、当時の空気ではそれを言うと「キモオタ」にされてしまうため、ずっとそれを隠していた。


その当時の僕は「仮面の人格」を演じてなんとかやり過ごしていたけれど、「子供みたいなバカ騒ぎができる」という「ノリ」ができないと排除される人達のことを思うと複雑だった。


なにより嫌だったのは、排除される人の中には「まともに人生について考えている人」も含まれていたことだ。


社会や人生に疑問を抱き、歴史上の人物や海外の人にも「その答え」を求める「求道者」もいたと思うし、何より僕が「そういう人間」だった。



「フジテレビの時代」以降に起きた「インテリ排除」の流れは「考える若者」の排除でもあったと思う。


その背景には「学生運動の敗北」と、団塊世代の「不毛なインテリごっこ」の後遺症があったにしろ、若者に「考えない」ことを押し付けていた「空気」は、後の時代に「深刻な問題」を残していったと思う。


正確に言えば、とんねるずはたまたま時代のアイコンになっただけで、犯人は彼らを選んだ「時代の空気」だったと思う。


要するに「みんなが観る番組」が、「そういうもの」になったので、視聴率の取れない「その他のもの」は切り捨てたという、今の「ポピュリズム」そのものだろう。



《お勉強後遺症》


フジも含めて「知的なテーマ」を模索した番組の挑戦も何度か見かけた。

しかし、それが続かないのは「みんな」が観ないからなのだ。


そして、最終的に支持されたのは、学校のテスト問題みたいな「漢字テスト」や「計算」を「間違いなく答えるゲーム」みたいなショーと、高学歴のタレントと学歴の低いタレントが「難しいテスト問題」を正確に答える、みたいな番組だった。


ここに「自分の哲学」より「事務能力」を試されるという、日本教育の悲惨な末路が露見している。

(多くの)日本人が声高に主張出来ることは、「自分の考え」ではなく、一般に認知された「誤字脱字」や「計算違い」の指摘なのだ。


「私はこう思います」ではなく。

「それは教科書に載っていたのと違います」という声ばかりになった。

これは明らかに「受験後遺症」「お勉強後遺症」だろう。

「暴れるバカ」が「真面目なバカ」に変わったのが0年代だったのだと思う。


そしてここにも「マーケティング」の悲劇があって、「平均的に好まれるもの」がメインステージを奪うと、その他の多くも「似たようなもの」になっていく。



《ラベリングをやっつける漫画》


僕があの当時悲しかったのは、知的水準を下げる事で支持された「メインステージ」は、悪い意味で子供っぽい「排他的な場」になったことだった。


「その場」では、「オタクは気持ち悪い存在」と決められていて、「オタク」とラベリングされた人間の1人1人が「何について熱中しているか」は関係ないし、1人で本ばかり読んでいる「メガネくん」が「何を思い」「何を考えている」のかも関係ないのだ。



今回「漫画動画」のコーナーで取り上げた、僕の漫画「Bバージン」は、そんな(オタクという)ラベリングをされた男が、「仮の姿」で、とんねるず的な世界に挑んでいくところから始まる。



それは「オタク」や「ゲイ」や「変な見た目」をバカにしながら、ろくにモノを考えていない「ノリだけのやつら」にケンカを売ったのが「Bバージン」だったのだ。



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《「全員を不幸にする」日本人の価値観》