━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
山田玲司のヤングサンデー 第151号 2017/9/4

イチロー嫌い

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

僕はイチローが嫌いだった。


いくら尊敬する河合隼雄先生が「イチロー」を誉めていても、なんかもうあの「雰囲気」が気にいらなかったのだ。


「振り子打法」なる巧妙な打ち方も、失敗を避けるための姑息な作戦に見えた。

「そんな無難な戦法までして打率を上げたいか?」


なんてね。

b943ced3186d8636948016055489054ecb44c1f0

今考えればそれはもう明らかに「嫉妬」だった。

何しろイチローが活躍している長い長い期間は、僕にとって「長い長い不遇の時」と重なるからだ。


僕だって、可能な限りストイックに漫画を描いてきたし、恥をしのんでやりたくない仕事だってしてきたのに、どういうわけか結果が出ない。


直接言われたりはしないのに「 山田玲司はもう終わりだwww」なんて言われているんじゃないかと思うようになる。


そんな毎日の中で目に入ってくるのが「イチローの大活躍」だった。


こうなるともう、彼のストイックな生き方も、ナルシスティック(に見える)話し方も、もう何もかも気に入らない。



しかしです。


そんなイチローでも打率は3割くらいだったわけです。


絶好調の時でも「打率5割」とかではなく(そもそもそんな人はいない)要するに打席に入ったら半分以上は、三振だのセカンドゴロだので、大半の打席は「みんなの期待」を裏切ってみっともなく凡退していたわけです。


なにしろ「物事が上手く行ってない時の人間」てのは、ろくにものが「見えてないもの」なのです。



そんなわけで、最近の僕は午前中の時間を色々な事を思索したり、描いたり、ゴロゴロしたりしながらメジャーリーグの試合をなんとなく見ています。


イチローはほとんど「代打屋」になっていて、水島新司の「あぶさん」みたいに頑張ってる。

記録更新に沸き立つ時期に全然打てない。

それでも淡々と次に備えている。


なんだかどんどんイチローが好きになってくる。




日本にいた時は、あの野村克也に「神の子」と言われていた「まーくん」こと田中将大も出てくる。


彼はなんとニューヨークヤンキースというレジェンド球団の先発投手になってる。


そしてこれがまた「ボッコボコ」に打たれてたりする。


僕の大好きなダルビッシュも打たれまくってる。広島のスーパースターだった前田も打たれまくっている。



「ああ・・もうこれで登板の機会はないのかな」なんて思っていると、しばらくして彼らはまた試合に出てくる。


そして、この前とは別人のような素晴らしい投球で、バカでかいメジャーリーガーをガンガン打ち取っていくのだ。



僕は気づいた。


「野球を観る」とは「勝っている人を観る」のではなく「懲りない人を観る」という事なのかもしれない。
8229d54d8b08ab23e0204afe3dfff16b4fa780e7