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山田玲司のヤングサンデー 第128号 2017/3/27
「オザキ」から「B'Z」の時代に何が起きたか?
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「 山田さん、番組でオザキはやらないんですか?」
先日のオフ会でこんな事を聞かれました。
なるほど、確かに僕の番組は4,50代の人も観てくれてるし、夢の問題なんかを語るなら尾崎豊は外せない気もする。
結局今回の放送でもオザキ話はなかったんだけど、何だろう、この国は今とても「オザキ」に厳しい感じがする。
彼が亡くなったのは1992年。その死因の真意はともかく、この当時「オザキ」に救われてきた人と、この件で彼の歌を知った世代が大騒ぎしていたものです。
どこかで書いたと思うんだけど、僕は尾崎豊と同じ学年で、彼のデビューの頃もよく覚えています。
「へえ、すごいヤツが出てきたね」なんて言うと当時の同級生は「あんなの聴くのかよ?」と嘲笑していました。
当時はすでにYMOやら大滝詠一なんかも出てきていて、「自分(夢)を熱く語る」なんてのはダサいこと、とされていたからで、この辺なんだか「意識高い系を嘲笑する」今の時代の雰囲気にも似ている気がする。
ところが、そんな「YMO的クール」に着いて行けなかった当時10代半ばだった「松坂世代」(現在30代半ば)の「青いハート」にオザキの言葉は直撃しました。
そんなわけで、オザキはその世代の圧倒的なカリスマになったわけです。
〜「オザキ」を終わらせた「B'Z」〜
オザキは「自分の世界」で苦悩しつつ「夢」を見るのを諦めない。
そして彼はその「夢」とは何か?という事についても逃げなかった人でした。
彼は「夢なのか?金なのか?」と、膨れ上がって掴みどころのなくなってしまう「夢」の正体に向かい合い、結局「敵」なるものは「自分」なのかもしれない、なんていう苦しい所に追い込まれていきました。
おまけに時代は経済的に豊かになり、世界は「自分を排除する冷たい場所」から、考えなくてもなんとかなる「遊び場」に変わっていきました。
そんな時代に王座の椅子を獲得したのがB'Zです。
このB'Zという2人組の世界は、歌詞で悩んでいても、基本的にカッコよく、ご機嫌で、楽天的。
歌詞で描かれている「悩み」も、比較的に浅く、その曲の中で「考えなくてもなんとかなるさ」なんて、思考放棄を促して聞き手の心を楽にしてくれるのです。
「ゼロがいい、ゼロでいこう」なんて感じで「大きな問題」から気をそらしてくれるのですから、これは聴きやすい。
中には深刻なことを語っている感じの歌詞もあるのだけど、基本的に悩みなんてどうにかなる、というノリなので「苦悩」はしないのです。
「色々あるけど、夢は叶うさ、うえ~い」なのです。
そこから見ると、オザキの「自分に耽溺した苦悩」なんかはダサく見えてしまう人が多かったのでしょう。
問題解決の方向はどちらも「悲しいけど、やるしかないよね」みたいな似たような答えなんだけど、「弱さ」と「狭さ」を抱えたオザキに対して、B'Zは「愚痴(忙しくて眠れない)」と「楽天性(ウルトラソウル!)」なのだ。
〜とどめを刺した「ホリエ」〜
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